折本龍則「日中戦争を繰り返さぬために今こそアジア主義に学べ」(『維新と興亜』第16号、令和5年1月号)
いまどき「アジア主義」などと言うと、隣国チャイナや北朝鮮が我が国の主権を脅かしているのに何を寝ぼけたことを言っているのか、近代日本史の最大の失敗はシナ大陸に手を伸ばしたことだ、シナや朝鮮と関わるとろろくなことがないから脱亜論で行くべきだ、などと反論される。
たしかに習近平による独裁体制のもとで覇権主義を突き進む現在の中共政府と我が国が友好関係を築けるわけがない。しかし、「日米同盟強化」や「対中抑止」の名の下に軍備を増強し続ければ、中共との対立はエスカレートし、このままいくと日本とチャイナは戦争になるだろう。しかしその際、戦場になるのはシナ大陸でもアメリカでもなくその緩衝国である我が国であることを忘れてはならない。
いまやアメリカは明確にチャイナを敵視し、日本を使ってチャイナを封じ込めようとしているが、アメリカの口車に乗って米国製の兵器を買い集めイケイケどんどんでチャイナに対抗しても、核武装している国同士は戦争をしないが、通常兵器しか持たない我が国は容易に侵略を受ける。
かつての日中戦争で我が国は蒋介石率いる重慶政府と戦ったが、その戦争の勝者は誰であったか。それは我が国でも蒋介石でもない。中国共産党だ。すなわちアメリカは門戸開放宣言以来、思い上がった「明白な使命」に基づいてシナ大陸に介入し、我が国の大陸における特殊権益を排除するために国民党政府を支援した。しかしその国民党政府はコミンテルンの指導下にある中国共産党の分子が潜入し、我が軍を挑発して泥沼の戦争に引きずり込んだのである。
その結果、蒋介石はアメリカによって我が国を駆逐することには成功したが、国共内戦によって自らも大陸から駆逐された。このような事態を危惧したからこそ、頭山満翁は、日中戦争を最大の恨事とし、重慶政府との和平工作に尽力したのである。
本来、孫文の革命運動は「三民主義(民族・民権・民生)」を大義とする漢民族ナショナリズム革命であった。しかし普遍的正義を掲げるアメリカの干渉の結果、シナ大陸は共産主義に覆われた。我が国もまたアメリカの占領支配下で「自由と民主主義」を押し付けられ民族の伝統を封印された。かくして東アジアは左右の普遍主義によって分断されたのである。しかし共産主義もそれに対する民主主義や資本主義も、唯物功利的個人主義に基づいた近代イデオロギーの二卵性双生児に過ぎない。これに対してアジア民族には、忠孝道徳に基づいた農本的大家族主義の伝統がある。頭山翁等興亜陣営は、こうしたアジア民族の共存共栄による王道秩序建設を目指したのだ。
近年覇権主義を突き進む中共政府もアメリカが生み出した怪獣に他ならない。すなわち改革開放以来、アメリカ主導の自由主義経済に参入したチャイナは、急速な経済成長を遂げ、その成長と国内体制を維持する為に帝国主義的拡張政策に依らざるを得ないのである。一方の我が国は、近代資本主義の極致ともいうべきグローバル資本主義によって、家族や地方社会といった伝統共同体が解体され、資本主義を維持するために同じアジア民族を「技能実習生」と称して奴隷のように酷使している。そこには道義の欠片もない。
我々の敵はチャイナではなくアメリカに従属し近代普遍主義に支配された己自身の醜さだ。たしかに今の中共の覇権主義は断固防遏せねばならないし、中共が本来の漢民族国家に脱皮しない限り日中友好はありえない。しかしそのためには先ず我が国が事大主義を克服して対米従属から脱却し民族の伝統に回帰(維新)せねばならない。
かくしてアジア民族があらゆる覇権を排して、それぞれ独立し連帯した時にアジアに道義的秩序が打ち立てられ真の恒久平和が確立されるだろう。そのうえで、戦前の興亜陣営が維新運動の中核となり、アジアの独立運動を支援した歴史的事実は、かけがえのない歴史的遺産だ。だからこそ我々はいまこそアジア主義に学ぶ必要があるのである。