維新と興亜懇談会第2回メモ
維新と興亜懇談会第2回板書
来島恒喜を生んだ玄洋社と頭山満の精神
乙丑の獄(慶応元年)→筑前勤王党粛清(加藤司書 Cf.筑前今様)→維新政府に乗り遅れる
武部小四郎、越智彦三郎、箱田六輔→勤王党の残党
高場乱の人参畑塾 荒くれ者を指導
萩の乱→頭山、箱田、進藤
福岡の変→武部(「行くぞー!」、越智の刑死
頭山は出獄後、鹿児島来訪「西郷の精神に会いに来た」
西郷精神とは西洋覇道に対する東洋王道
土佐で板垣退助の民権論に目覚める
植木枝盛を連れ帰る
向陽社創設(向陽義塾→後の修猷館)
国体に基づいた民権論→戸長権
Cf.大正の純正普選運動
玄洋社発足(明治13年5月)初代社長、平岡浩太郎
三憲則
第一条 皇室を敬戴すべし
第二条 本国を愛重すべし
第三条 人民の権利(←主権)を固守すべし
人民主権は天皇大権に抵触するとの理由から変更
玄洋社は民権から国権主義に変節したのか?
Cf.長崎事件、第二回総選挙選挙干渉
尊皇、民権、国権の三位一体
Cf.中野正剛を擁護
民党の変節(国会開設を優先し条約改正を取り下げ、国会での無責任な主張)→頭山と熊本佐々友房の連携→頭山の玄洋社内での孤立化「一人でいても寂しくない男になれ」→箱田の板挟みと自決
Cf.左手中指を切断した理由
舟の比喩、「右に傾けば左に寄り左に傾けば右に寄る」