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鳩山友紀夫「対米自立を政治の大きな流れに」(『維新と興亜』第14号、令和4年8月28日発売)

一国の領土に外国軍が居続ける異常さ


── 鳩山さんは総理時代に、普天間基地の移設について「最低でも県外」を目指しましたが、結局それを実現することはできませんでした。
鳩山 世界の歴史を見ても、一国の領土に外国軍がこれほど長く居続けるというのは極めて異常なことです。後23年経てば戦後100年となります。100年経ってもアメリカの軍隊が日本に居続けているなんてことは考えられません。
 本来、自分の国は自分で守らなければいけません。ところが、アメリカへの軍事的依存がますます高まり、日米の共同訓練が強化され、日米の軍事的一体化が進んでいます。こうした中で、米軍が日本に基地を置くのは当然という考え方がむしろ強まっています。
 世界の中で最も軍事力が強いアメリカが、本当に平和を愛する国であればいいのですが、歴史を見ればアメリカは、(米国流の)民主主義のためと言いながら、他国を侵略してきたわけです。そのような国と運命を共有していていいのかということを、真剣に考えなければなりません。
 2009年9月に総理に就任した私は、米軍基地の縮小を目指し、まず普天間基地を最低でも県外、できることなら国外に移設しようとしました。ところが結局、移設先を辺野古に戻してしまい、沖縄県民に大きな失望感を与えてしまいました。自分自身の非力さを認めなければならないと思います。
 また、残念ながら、鳩山政権が目指した県外移設に、担当する大臣も民主党も積極的に動こうとしませんでした。結局、対米従属の重しの中に自分が埋められるという結果に終わってしまったわけです。
── 当時、外務大臣は岡田克也さん、防衛大臣は北沢俊美さんでしたが、県外移設には外務官僚、防衛官僚の抵抗が強かったように思います。
鳩山 官僚たちが、「鳩山の目指す県外移設に全力で取り組むのだ」という気持ちになってくれれば、大臣が積極的に動いた可能性もあったでしょうが、官僚たちはそのような気持ちにならなかったのでしょう。岡田外務大臣にしろ、北沢防衛大臣にしろ、最初から諦めてしまっていたのです。岡田さんは当初は嘉手納基地への統合を考えていましたが、それが無理だと考えると、あっさり県外移設を諦めてしまったのです。北沢さんにいたっては、最初から辺野古でいいとおっしゃっていたようです。こうした状況を招いたのは、自分自身の徳と強いリーダーシップがなかったからだと思います。
 ただ、民主党と連立を組んでいた国民新党の亀井静香先生たちは、我々がやろうとしていることを理解してくださり、協力してくださいました。
 確かに、2009年の政権交代のマニフェストには「最低でも県外」という文言はありませんでしたが、2002年に民主党が作った沖縄ビジョンには「普天間基地の移転については、あらゆる可能性を積極的に検討する」と書かれていました。党としてそうした方針を決めていたのですから、政権に就いてそれをやらない方がむしろおかしいと私は考えたのです。沖縄の人たちは、沖縄ビジョンに非常に期待をしてくれていました。
 ところが、マニフェストをつくった民主党の人たちは「政党として決めていないことに鳩山が踏み込んだ」と考えたのでしょう。ここから齟齬が生じてしまったのです。

「最低でも県外」を断念させた外務省の「偽造」文書


── 徳之島への移設を模索していました。
鳩山 2009年の年末に、公邸で徳之島の町長さんや青年部の方とお会いしました。彼らは「徳之島は高齢化が進んでいて、このままでは経済が成り立ちません。島を活性化するために基地を誘致してもらいたい」と訴えました。これは有難い話だと考えて、内密に状況を調査したいと思い、官房長官に動いてもらいました。
 ところが、その動きがマスコミにリークされ、徳之島移設に対する反対運動が起きてしまったのです。その結果、町長たちも黙ってしまいました。もう少しうまくやらなければならなかったと反省しています。
── 2010年4月19日に、鳩山総理のもとに、「極秘文書」と押印された文書が届けられたと報じられています。その文書には、米軍マニュアルにヘリ基地と訓練場との距離は「65海里(約120キロ)以内」との基準が明記されており、徳之島と沖縄本島との距離は104海里(192キロ)なので、移設先として条件を満たしていないと書かれていたとされています。これは事実でしょうか。
鳩山 事実です。ここに文書があります。米軍のマニュアルに、「65海里以内」という基準が明記されていることは、実質的に沖縄から県外には基地を移せないということを意味します。この文書を受け取った瞬間、私は県外移設を完全に断念したのです。
 ところがその後、この文書は県外移設を断念させるために作成されたのではと考えるようになりました。つまり誰かが偽造したものであったことがわかったのです。米軍にはそのようなマニュアルは存在しないのです。しかも、外務省はこの文書作成を認めていませんし、当然保存もされていないのです。コピーをとると「複写厳禁」という文字が映り込むのです(20頁)。
 安倍さんの時代には、役人が平気で嘘をつくようになりましたが、当時私は、役人が偽物の文書を作るなどとは考えもしませんでした。

祖父・鳩山一郎のDNA


── 鳩山政権は日米地位協定改定を目指しました。
鳩山 私は、総理として日米地位協定の改定に向けて交渉をするように外務省に命じました。しかし、外務官僚たちは、「アメリカ側は改定には応じようとしません。運用の改善で対応していくしかないです」と言って、動かなかったのです。現在の外務省はアメリカしか見ていないのです。かつては外務省にもチャイナ・スクールやロシアン・スクールが存在しましたが、現在の外務省はアメリカ一辺倒です。アメリカとの関係だけをやっていれば、出世するという状況です。非常に嘆かわしいことだと思います。だから、彼らは最初からアメリカと交渉することを諦めているのです。
 これまで外交交渉は外務官僚に委ねられてきましたが、日本の総理がアメリカの大統領に対して「地位協定の改定を求める」と言い切る必要があると思います。総理時代に、外務省に任せるのではなく、私が直接オバマ大統領にはっきり要求すればよかった。自分の考えも押しも足りなかったと思います。
 いまなお、沖縄では米軍兵による事件が後を絶ちません。ところが日本の法律で彼らを裁くことができず、いつも被害者は泣き寝入りするしかありません。日本は独立国ではないということです。日米関係を対等な関係に変えていくことが、日本の最も重要なテーマだと考えています。『維新と興亜』がこのテーマを重視した言論活動をしていることはとてもありがたいです。
── 総理時代に日米合同委員会の存在については理解していたのでしょうか。
鳩山 私は迂闊にも日米合同委員会のことを十分に理解していませんでした。そこでの決定が、ある意味で憲法以上の力を持っていることも知りませんでした。ニュー山王ホテルにはミッキー安川さんのパーティなどで何度か行ったことがありましたが、そこで日米合同委員会が開かれていることも知りませんでした。
 総理時代、日米合同委員会についての報告は一度もありませんでした。これは、私以外の総理の時代も同じだと思います。日米合同委員会の議事内容は一切表に出ていないのです。また、日米合同委員会の構成は非常にアンバランスです。アメリカ側は、大使館公使以外は全て軍人ですが、日本側は局長クラスの役人だけです。もし総理になった時点で日米合同委員会のことを理解していれば、そこにメスを入れたかったですね。
── 鳩山政権は年次改革要望書を廃止しました。
鳩山 小泉政権は、アメリカが年次改革要望書での要求を受ける形で、郵政民営化を推進しました。アメリカの要求に沿って日本の規制改革や民営化が進められていること自体が、大きな問題です。もともと年次改革要望書は日米が相互に要望し合うものであったにもかかわらず、アメリカが一方的に日本に要求する手段として使われていたのです。したがって、一旦これは止めた方がいいと考えて廃止したのです。これに対してアメリカからのリアクションはありませんでした。彼らは、年次改革要望書に代わる仕組みを改めて作ればいいと考えたのでしょう。その後、アメリカはTPPの枠組みを利用して日本の規制改革を迫るようになりました。
── 御祖父様の鳩山一郎さんは、アメリカ追随ではない自主外交を展開しましたが、鳩山さんが対米自主外交を模索した際に、御祖父様のことは念頭にあったのでしょうか。
鳩山 私のDNAの中には、あったのかもしれません。吉田茂さんはアメリカとの関係を築きました。これに対して、祖父は共産党嫌いでしたが、自主外交を展開するために、共産圏諸国との共生を目指したのです。祖父はまずソ連との関係に力を入れ、日ソ共同宣言をまとめました。祖父が元気であれば、日中もやろうしたでしょう。実際、退陣後も日中関係の改善に情熱を傾けました。
── 御祖父様の奥様の薫さんの父である寺田栄は、大アジア主義を唱えた玄洋社の幹部で、孫文の革命を支援した人物だと伺っています。
鳩山 それは事実だと思いますが、詳しく調べたことはありません。

アメリカを怒らせた東アジア共同体


── 東アジア共同体に対して、アメリカが警戒感を高めたことが、鳩山政権崩壊の原因だったという見方もあります。
鳩山 確かに、米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長のジェフリー・ベーダー氏やジャパン・ハンドラーとして知られるジョセフ・ナイ氏などが、東アジア共同体構想に反発していたのは事実だと思います。日米関係を少しでも相対化し、米国の既得権を犯すような構想に対しては、彼らは本能的に拒絶反応を示します。しかし、私はアメリカ外しを意図していたわけではありません。私は東アジア共同体の創造を新たなアジアの経済秩序と協調の枠組み作りに資する構想として掲げたのです。
 日本は朝鮮半島を植民地にし、中国に進出した時期がありましたが、そうした歴史を乗り越えて、東アジア全体を戦争のない地域にしていくためには、この地域に共同体を創造することが必要だと考えているのです。それを支えているのが、友愛の精神です。
 かつてクーデンホーフ・カレルギーは、友愛の精神に基づいて汎ヨーロッパ主義を唱え、それが最終的にEUに結実しました。友愛とは自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方のことです。欧州においては、悲惨な二度の大戦を経て、それまで憎み合っていた独仏両国は、石炭や鉄鋼の共同管理をはじめとした協力を積み重ね、さらに国民相互間の交流を深めた結果、事実上の不戦共同体が成立しました。独仏を中心にした協力の動きはその後も続き、EUへとつながったのです。
 1952年にカレルギーの『Totalitarian State against Man』を『自由と人生』のタイトルで翻訳した祖父は、友愛の精神が非常に大事だと考えていました。
 私は、東アジア共同体を創造するには、アジアの平和と安定という大目標のために、日本が中国や韓国と歴史認識を含め、信頼関係の再構築へ、今までの考え方を方向転換することが必要だと思います。もちろん領土問題は重要です。日本と韓国の間には竹島の問題があり、日本と中国の間には尖閣諸島の問題があります。しかし、東アジア全体を一つの共同体にすることによって、国境を越えてみんなが平和に暮らしていける世の中にしたい。
 東アジア共同体の中心は沖縄がいいと考えています。沖縄に常設の東アジア議会みたいな機関を設置し、教育・文化・スポーツ・経済・貿易・金融・環境・エネルギー・医療などあらゆる問題を議論する場にすべきだと思います。それによって、東アジアが抱える様々な障害を取り除き、刺々しい国家間関係を緩和することができると思います。
 私は、総理時代に、国家副主席だった習近平氏と会見しましたが、この構想に賛同し、彼は人類運命共同体とも言っています。韓国の中にも東アジア共同体の賛同者はかなりいます。
── 東アジア共同体が中国の覇権主義に利用されるという意見もあります。
鳩山 習近平主席は「自分たちは図体が大きいから、中国が咳をするだけで周りが風邪をひくのではないかと心配する。漢民族には決して侵略のDNAはない。万里の長城は他民族からの侵略を防ぐために築かれた」と語っていました。
 私には、中国が世界の覇権を握ろうとしているとは思えません。あれだけ大きな国を維持していくだけでも大変です。もちろん、中国が覇権主義的な行動をとれば、それに対して日本は言うべきことをきちんと言わなければなりません。
 ただ、覇権主義をとっているのはむしろアメリカの方です。中国はアメリカのおかげで急速に経済発展しましたが、中国が台頭し、大きな顔をするようになると、アメリカは中国を懲らしめたいと考えるようになりました。アメリカは自分が世界の覇権を維持したいと考えているから、台頭する国が自分の覇権を脅かさないように叩いておかなければならないと考えているのでしょう。

覇権国家・アメリカの本音

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