42でも、おがる。
花粉による目のシャバシャバもなくなってきたし、山にも海にも、街にも様々な色がみられるようになってきた。
暑さ寒さも彼岸までというけれど、本当だ。
彼岸と言えば、墓参り。
同じ市内だけれど車で、川を越えて、いくつかの山を越えて。
約1時間の道のりだ。
実家は津波で海の中だし、あった場所はすでに更地。
拠点はお墓しかない。
同級生とか友達も多くは仙台とか東京に出ていて残っていない。
自動的に盆と彼岸だけのふるさと、になってしまう。
なので、顔見知りの同じ浜(集落)の皆さんに会える機会は、
短い墓参りの時間だけ。
先日は、妻が仕事だったため、両親を連れての帰省だった。
お墓の駐車場に到着すると、さっそく親戚のおじさんがいた。
おそらく、5,6年ぶり。
とりあえずの自分からあいさつ。
「こんぬづはーー。」
おじさんは『誰だ?』という表情。
たぶん、この会えなかった数年間で記憶から抹消されている。
両親を見て、『あー。秋山さんちの家族ね』と第一認識クリア。
そのあと数秒後、第二認識。『あー、あーユウヒロか⁉おがったなー』
“おがったなー”とは、大きくなったな、成長したなの意味。
主に幼稚園生とか小学生に向けられる愛情表現で、40過ぎの男にいう言葉ではない。
『はっはーユウヒロが、おがったんではなくて、俺達が縮んだんだな笑』という、両親とともに高齢者自虐ギャグでひとわらいという、朗らかな駐車場タイムだ。
次は、お墓を洗う用の水をバケツに入れているとき。
『誰だべ??』と、どこからともなくあらわれた、おばあさんから話しかけられた。
そこからは、さきほどの両親を見ての第一認識があって、第二認識というほとんど同じ流れ。
そしてまったく同じアクセントで「ユウヒロ君!おがったごどーーー!」が来る。
このおばあさんは、自分が子どものころから、かわいがってもらった人。お菓子をもらったり、いつも笑顔で話しかけてくれた人だった。
震災とか津波に関係なく、20年ぶりぐらいに会うことができて嬉しかった。
自分の母親とのマシンガントークも、あのころのまま。
「ほら、石巻の球場のそばにいっから。いつでもお茶のみにございんよ。」
津波で、ふるさとはめちゃくちゃになったけれど、このちょっとほっこりする瞬間がたまらなく好きだ。という話でした。
ふーっ。…。昨年も年度末のこの日に、noteに投稿していたようです。
多分、現実逃避という理由。
異動とか、お仕事が変わったりとか、と季節の変わり際ですけれど、皆さん、体調は大丈夫ですか?
コロナ禍も終わりそう?で、いろいろ、シフトアップが必要なとき。流れにうまく乗れればいいですけれど、世間の勢いはすごい。よし!それ!と、気合だけで、皆が飛んでいる大縄跳びに入っていけない私のような、リズムだけ刻んでいる状態がずっと続いているような。
だけれども。
まだまだ、おがっていると信じる42歳の春です。
というわけで、現実に戻ってきます。←早く仕事しろ。