はてしない石の物語#60~自分を消した石たち~
長女が友人たちと旅行に行った時「宝さがし」というイベントコーナーで砂に埋まっている天然石をいくつか手に入れてきました。それらを「石の勉強会」の時にK先生に見ていただきました。
先生はちょっと見て「もうここに命は入っていないかも」とおっしゃいました。「命が入っていない」という表現は初めて聞きました。別の石も手に取って「これはまだ少し何か残っているような気もするけれど・・・」と見ていましたが、「うん、やっぱりこれももう力はないかな」と。
そして「これは、いろんな石とごちゃっと一緒に入れられている状態だったでしょ?」と長女に尋ね「そうです」との答え。「そうだとすると、個性を持っていればいるほど、役立ちたいという気持ちを持っている石であればあるほど、辛くなって自分を消すよね。心を失くした方が楽だから」とおっしゃいました。その言葉に私も長女もハッとさせられました。
「この石たちは、今までお疲れさまでした、と、飾ってあげるといいんじゃないかな。そうしてあげることもすごく大切なことだと思う」というアドバイスもいただきました。長女は「帰省から戻ったら、陽の当るところにお皿に並べて飾ることにする」と言っていました。
今回の話は、とても考えさせられるものがありました。私たち人も多くの場合、いっしょくたにされて、なるべく平均的であることを求められ・・・となりがちではないでしょうか。学校に行けないお子さんが増えている、と言われているけれど、私は「そうなってしまうのもわかる気がする」「まっとうな感覚を持っているからこそ、足がどうしても向かなくなってしまう子もいるのではないか」と思っていました。実際、そういう子どもたちと会う機会があるのですが、心優しくいろんなことに気が付く子が多い。そして「自分の辛い経験が役に立つなら」と、体験を話してくれる子たちもいる。言葉につまりながらも、誠実に自分の体験を話そうとするその姿には本当に心打たれるものがあります。
K先生の「個性を持っていればいるほど、役立ちたいという気持ちを持っている石であればあるほど、辛くなって自分を消すよね。心を失くした方が楽だから」という言葉が真実だと感じるのは、いろんな子どもたちとの経験とシンクロするものがあるからかもしれません。長女ともそんな話をしながら勉強会から帰ってきました。
これまで綴ってきたどの話もそうなのですが、今回のお話も「石の話」であると同時に「私たちの話」でもある。私たちが、そして子どもたちが「自分(個性や願い)を消す方が楽」と思うのではなく「自分らしくいられて、自分を役立てることができる」と思える社会や環境とするにはどうしたらいいのか、どうあったらいいのか、考え続けていきたいし、できることがあれば実践してきたいし、何よりまずは私自身に「自分を失くしてはいないか」と問いかけることを忘れずにいたい、と思います。
長女もきっと、私と同じような想いを抱いて自分の家に戻り、石達を美しく飾っていることでしょう。そう思うと救われる気持ちになります。
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