はてしない石の物語#86~「十石十色のアクセサリー」その後②~
母が私の長女に譲ってくれたアクセサリーが「母が疲れている」というメッセージを送ってきたことを『はてしない石の物語#70~「十石十色のアクセサリー」その後~』でお伝えしました。「旅行に連れ出すのが一番いい」とK先生がアドバイスくださったことも。
そのお話がこちら。
両親を連れ出した旅行がとても素晴らしかったので、その後それぞれ積み立てをし、それが貯まったので今度は長女も交えて4人で旅行に行ってきました。2度目の旅行で驚いたのが、前回より母がずっとずっと元気になっていたこと。歩くのも早くなり、できなかった正座もできるようになっていたのです。前回の旅行の後、お風呂に入った時などに毎日地道に運動をしたり、呼吸に気を付けたりしてきたとのこと。80歳を過ぎた母が、前より元気になっているということに私は心打たれました。
その感動の余韻が残っていたので、「石の勉強会」の時にその話をして、「疲れている」ことを教えてくれた指輪と母の写真を見せました。K先生は母の写真を見て「すごく喜んでいるね!いいことしたね」と言ってくださいました。その後、少し沈黙して「あのね、何と言ったらいいかちょっと難しいんだけど、お母さんはね死を見据えている。でも、それは悪い意味ではなくて、そのうえで、残りの人生もっともっと楽しみたいと願っている。ここにきてお母さんの人生が流れ出した。このままいけばすごく満足して人生を終えられるよ」と・・・その言葉を聞いた瞬間、私が子どもの頃から母に願ってきたことはまさにそれなのだとわかりました。「ねばならない」という義務感が強く、楽しむということが苦手な母を見ていて、私は小学生の時から「このままでは、人生を終える時にこんなはずではなかったと激しい後悔を感じることになる」という強い危機感と、いてもたってもいられない気持ちを感じていました。今から思えば、それは「母」のことでもあり「自分」のことでもあったのでしょう。「ではどうしたらいいのか」ということを、母との関係においても、自分の生き方においても一生懸命考えてきたように思います。
1年以上続く「石の勉強」の中で(時に定期的に受けている治療の中で)、母への対応についてアドバイスをいただいてきました。「どんな小さなことでもいいから感謝を伝えて」「どんどんポジティブなことを話しかけて」「未来のこと、夢のあることを話して」などなど・・・そういうこともすべて実行してきました。それがじわじわと効いていたことも感じます。
「ここにきてお母さんの人生が流れ始めた」という言葉は、私の人生にとって最も嬉しい言葉のひとつとなりました。
その嬉しい言葉の後に「ひとつだけお願いがある。お母さんに歩きやすい靴を買ってあげて」というメッセージもくださいました。「お母さんはおしゃれな人?」と聞かれたので「はい、おしゃれです」と答えたら「あのね、できればスニーカーのようなものではなく、おしゃれでいながら履きやすい靴にして」と・・・その言葉に驚いてしまいました。なぜかというと、スニーカータイプの靴はすでにプレゼントしていたのです。「歩きやすい」と気に入ってくれていましたが、同時に母はおしゃれで歩きやすい靴をずっと探してもいたのです。K先生は「そういう靴があったら、もっともっと出かけたくなるよ。世界が広がって元気になる」と・・・
そのメッセージを受け取った3日後に、両親と一緒にデパートに行きいろんな靴を試着したうえで「これだね!」という靴をプレゼントしました。「どこまでも歩いて行けそう」と、とっても喜んでいました。
これまでnoteに綴ってきた「石の物語」は、石の勉強会でのやりとりやその後の出来事をできるだけ忠実に再現しています。だからといって、読んでくださる方がその内容を必ずしも「本当」と受け取らなくていいし、フィクションの物語として読んでもらってもかまわないと思っています。でも私自身は腑に落ちることばかりなので「本当」と受け取り、あまり間を置かず行動に移すようにしてきました。靴をプレゼントされた母はまるで少女のように素直に喜び、ワクワクし、家に戻ったらすぐに中には入らず玄関で靴の断捨離まで始めました。石のメッセージを「本当」と受け取らなければ、母のその姿を見ることはできなかったと思います。夜には母から電話が来て「お盆と正月がいっぺんに来たみたいよ」と、とても嬉しそうでした。これを書きながらも胸が熱くなります。
「石」や「アクセサリー」、そしてメッセージを受け取ってくださるK先生に心から感謝の気持ちでいっぱいです。「石やアクセサリー」の力を借り、こんな形で子どもの頃からの願いが実現するなんて、どんなに想像力を働かせても思い描くことはできませんでした。人生はなんと面白いのでしょうか・・・
今回の物語も、読んでくださる方にほんの少しでもお役に立てることがあればいいなあ、と願っています。