はてしない石の物語#73~K先生の予言「黄色い石の物語~その1」~
ある「石の勉強会」の時、先生は突然私が持ち込んだものの中からひとつを取り上げて「違う、これじゃない」と言いました。そして「そのうち、黄色い石と出逢うことになると思う。それはめぐみさんの分岐点を告げることになるかもしれない」と・・・(違う、と言ったのはちょっと黄色っぽい石のリングでした)
先生によるとその石は黄色くて大きいものらしい。私は気になって、それからは黄色い石はないかなあ、と探すようになりました。先生から「こんな感じ」と送られてきたリングの画像を見ながら同じようなものを探しました。
そんな中で気になるリングがあったので先生に写真見てもらったところ「うん、もしかしたらこれかもしれないね」とのこと。それで購入してみました。それが冒頭のリング。届いてから実際に見ていただいたところ「これはずいぶんいろんなものを吸っているね。浄化が必要。メッセージはその後でないと受け取るのが難しい」と。浄化方法としてはできるだけ朝日にあてること、お香の白檀も良い、期間は2か月とのことでした。
2か月経ってから見ていただいたところ「うん、浄化はできたね。身につけてあげたらいいよ」とだけ。どうもこの石は先生が見えたものではなかったようです。まあ、それはそうだ、分岐点を告げる石がそう簡単には現れないだろう、と思いました。その日はそれ以上のことは聞きそびれてしまいました。
でももっとメッセージを聞きたいと思い、また別の機会に見ていただいたところ「うーん、これはすごくシャイな石だね。あまり語らないんだよね。台座にもエネルギーがない」と。「リフォームしたらいいでしょうか?」と聞いても先生は首をひねり「どうかなあ・・・」と。そして「あ、これ触ってあげると喜ぶよ。愛が欲しいのかもね。いっぱい触って話しかけてあげたら何か言い出すかもしれない」とのこと。「最初に見ていただいた時、これはいろんなものいっぱい吸っていたと言われました」と伝えたところ「うん、それだけ素直なんだろうね」と。「ピュアでもあるのでしょうね」と言ったら「そうそう、そうだと思う」とのことでした。
そんなわけで、時々身につけ、撫でたり話しかけたりしています。縁あってやってきた石、何か私に役に立てることがあればいいな、と思っています。この石についてのやりとりを思い出すと、私にはあることが浮かんでくるのです。私は学校になじめなかったりして苦しんでいる子どもたちと交流することがあります。その子たちは自分に向けて言われたことでなくても、荒々しい言葉を聞くと傷ついたり、大きな音が苦手だったりするという共通点があります。繊細で優しい子が多い。そういう子たちを見ていると「この子たちはこの地球に来る前に、波動が優しい星にいたのかもしれないなあ」という気持ちになることがあります。だから荒い波動にはどうしても馴染めないのではないかと・・・
私の元にやってきたこの黄色い石も、地上に出てみたら急にいろんな悲しみや痛みが押し寄せてきて、一気に吸い込んでそれで自分がいっぱいになってしまったのではないかな、と思ったり・・・そう思うと愛しくてたまらなくなるのです。これはあくまでも私の想像ですが・・・
「そうかもしれない」という前提で、ゆっくりゆっくり時間をかけて「あなたは本当はどんな風に役に立ちたいの?」「どんな人と一緒にいたいの?」と話しかけています。シャイなこの子が、「本当はね・・・」と話し出す日を楽しみにしています。
そしてふと思い出しました。まだ石の勉強を始める前、私が初めてペンダントを癒したときにK先生が言った言葉を・・・「あなたがアクセサリーを選ぶとき、アンティークの場合は無意識に自分が役立たせてあげられるかどうかで線引きしている。新しいアクセサリーはゼロから命を吹き込むことになる」という言葉。今回のリングは新しいもの。でも私は「ゼロから命を吹き込む」ということが自分にできるとは思っていません。ただ寄り添って本来あった願いを引き出すことはできるかもしれない、と、そうでありたいと思っています。
いつか、この指輪の物語の続きをお伝えできる日がくるかもしれませんね。
そして、私の「黄色い石探し」は続きます。こちらにもその後があるかもしれないので、今回は「その1」としてみました。