京から旅へ/インド仏跡巡礼(22) 長い夜①
足元に受けた二度の「牛の洗礼」にもメゲズ、巡礼バスの旅は進む。
結局、その日予定した昼食場所は着かず、3時過ぎに「禅ZEN」と云う、
通りがかりの印度飯屋で、伽哩をかっこみ、再び、バスは走り続けた。
連日の辛く脂っこい刺激物の摂取と、間断なきバスのシャフルにより、
しかりとモタレた胃袋を抑えながら「そうだよ、これがインドだよネ」
と悟り顔で、なるままの旅を“ケセラセラ”で、楽しむ事にした。
「インド人は、物事の結果がどうなるかは、人が決めるのでなく、
神様が決める事と、信じてま~す」。シラッと笑顔で、ガイド氏が、
のたまっても、「アァ、そうですか」と、苦い笑顔で返すしかない。
日本では考えられない行程の遅れだが、“神様まかせ”ではなく、
当然、この「結果」を導いた「原因」はある。それも、複合的に‥
まず一番の「原因」は、安定走行を妨げる、超激辛な道路状況である。
今、走っているビハール州には、釈尊(ブッダ)の聖地が多くあるが、
広大な土地の殆どが、小麦や米を栽培する農業地帯で、インドで
分けられた28の州の中でも、最貧の州だと云う事は、前に紹介した。
州が貧しいと云う事は、州の総生産力が少ないと云う事だが、当然、
年間に使える予算も少なく、相対的にインフラの整備にも限りがある。
無い袖は、振れないのである。
ビハール州は、関東地方の約2.9倍の広さだが、人口は約1.9倍。
広々として良さそうだが、その分、広い環境を整備し管理する費用を、
小さい所帯で捻出せねば、ならないのだから大変だ。
それも主たる産業が農業で、小作農家の家族数が7、8人の大家族。
いくら子供が多くても、労働力としては、期待ができない。
バスの外に見える風景も、頭に籠をのせて歩く家族や、牛に荷車
を曳かせる農夫、サトウキビを山盛り運ぶトラックと‥
機械化した大規模農業の生産性とは、ほど遠いものが見えている。
経済発展が是では無いが、この状況では、広大な州を貫く長い河や
道路の整備、電気、上下水道の普及などは、中々、進まないだろう。
ビハール州では、電気が普及されてない、家のほうが多いと聞く。
(一般家庭の普及率20%と聞くが、資料が無く断定はできない)
さすがに、宿泊したホテルは電気が使えたが、何度か停電になった。
停電は敷設した電線の距離や数でなく、電気の供給力の問題なので、
発電施設の少ないインドでは、どの州も停電が、珍しくないそうだ。
「道路と電気の不具合は、途上国ならではの特徴」と、後部座席
から声が聞こえ、「戦後復興期の日本もそうだった」と続いた。
ところで、超激辛な道路状況には、この州の地形による問題もある。
インドの季節はおおむね、暑季、雨季、乾季の三季に分けられる。
年中暑い国、と思うが違う。ただ、国が広く、期間の差はあるようだ。
どの季節も自然の厳しさを見せつけるが、特に雨季(6~11月)は、
急激な強い雨を降らす、モンスーンが吹き荒れ、被害が大きい。
ビハール州は、中部を横切るように、ガンジス河が流れている為、
モンスーンの影響で河が氾濫し、道路や町が浸水する事が多い。
その度に舗装が削られ、橋が流れ、毎年のように補修が行われる。
せっかく道路を直したり、拡張工事をしても、雨季にまた流されて、
フリダシでは、「結果」は神様まかせ、とも、言いたくなるだろう。
これでは、いつまでもインフラ整備による、産業活性化は望めない。
そして、もう一つ、旅の行程を狂わす大きな「原因」が、人である。
つまり、安全走行を無視する、インド人の超激辛な運転マナーだ。
1~2車線の狭い、デコボコ道も関係なく、どのバスもトラックも
オートリキシャも牛車も、ワレサキニと警笛を鳴らし、疾走する。
車幅ギリギリでも、左右に30cm程の間があれば、躊躇なく突っ込む。
驚異的な心臓と職人技で、運転する。事故らないのが不思議だ。
過積載も凄い。デッカイ三角ムスビを、逆さにしたように、トラックの
荷台から上に広げ、積まれたサトウキビ。バランスが悪いのは当然。
派手にコケた車を、何度か見たが、悲壮感なくアッケラカンとしてる。
勿論、バスは定員オーバーが、当たり前。屋根にも普通に人が乗る。
いやむしろ、屋根に乗る人の方が開放的で、ニコニコと楽しそうだ。
そんなインドの超激辛なドライブ状況の中、我バスも疾走して行く。
狭く、ガタガタにえぐれた道を、砂埃を上げ、“プェー、プェー”と、
鳥の悲鳴のような警笛を鳴らし続け、追い越して行く。
周りの車も負けじと、追い越しては、追い越され、また追い越す。
まるで、ブルも、ポチも、チンも混じった、ドッグレースのようだ
大きく弾む後部座席で、リアウィンドゥに向って座れば、圧倒的な
臨場感で迫る、アミューズメント空間に、入りこんだ気分。
目の前の現実と仮想の映像世界が、混ぜこぜ、変なトリップ感に陥る。
しかし、しかし、それにしても、長い一日である。
朝6時半に、ホテルを出て、すっとバスで移動を続けている。
濃い朝靄の乳白色の景色から、一点の曇なく、透き通る青空の下。
黄色に輝く広大な、菜の花畑を抜け、茜色の幕を降ろしながら、
沈む大きな夕陽を見送り、今、少しづつ闇色が濃度を高めている。
結局、4時過ぎに、今回、楽しみにしていた、ヴァイシャリはカット、
と、アナウンス。アショカ王の石柱に残された獅子が見れない。
残念だが、まだ、行程の60%にも満たないようでは、仕方ない。
予定をカットして走っているのだから、遅くても、夜9時には、
ホテルへ到着するだろうと云う、甘い期待を打ち消して、
バスは外灯の無い、漆黒の闇を切り裂きながら、疾走を続ける。
インド仏跡巡礼(23)へ、続く
(2014年6月3日 記)