上越立ち止まりスポット9-②(青苧:あおそ)
春日山頂上から降りる途中、青苧の群生地があり看板がたてられている。
「古くから『越後上布』の原料として珍重された青苧。上杉謙信公も、青苧商人や港に出入りする船から税を徴収して、米・金銀と共に軍事と財政力を支えていました。ここに植えてあるイラクサ科のカラムシの茎から採れる繊維が青苧です。カラムシは、雨が多く、湿度が高い場所、そして風の弱い土地を好むため、越後(新潟県)は上質な青苧の産地でした。」とある。
「上越ふるさと事典」にもこのような紹介がされている。「上杉謙信の軍事的な強さは、豊かな経済力にかかっていた。謙信の経済力を支えたものは、主として、米、金銀、青苧および越後上布であった。青苧は越後特産の野生植物、からむしという麻の一種で、木綿以前のたいせつな衣料であった。頸城・魚沼の山間地が主産地で、貴族の礼服は越後布に限るといわれるまでになった。風通しがよく汗が布につかない快適な衣類で、当時「越後」というだけで通じた。青苧商人は、座を結成して、青そのまま、あるいは越後上布とした織物を、柏崎、直江津港から移出した。越前敦賀・若狭の小浜へつづいていく苧船に荷を積み、そこからさらに、琵琶湖の舟運により坂本や大津で陸揚げして、京都・大阪・奈良方面へ送った。」
記録としては、天平勝宝年間(西暦749~757年)に越後国久疋郡から朝廷に献上された「越布」が正倉院に収められたという記録もあり、古くから衣類の最上級として珍重されていたらしい。雪に晒すことで味わいが出るのだそうで、他の国では生産できなかったのだろう。雪国だからこそ作れたのだ。
越後上布は、現在でも上布の最高級品で「東の越後、西の宮古」と呼ばれる日本を代表する織物である。1955年に小千谷縮と共に重要無形文化財に指定されている。2009年にはユネスコの無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも登録された。
ちなみに越後上布はいくらくらいか調べてみると、安くて20万円から自動車1台が買える値段まであった。
上杉謙信と青苧の関係について、「上越ふるさと事典」にこう続けている。「謙信は、倉田五郎左衛門に命じて、府内の町人の統制にあたらせ、青苧座の支配をさせた。同様に、長尾為景の時代から京都の青苧の販売に力を注ぎ、倉田氏を派遣し、青苧座の統括を命じていた。こうして、青苧座の商人は、上杉氏と荘園の領主三条西家へ多額の冥加金(営業税)を納めて、特権的庇護を受けていた。三条西家にとっても唯一の財源であたっという。謙信の青苧座商人からの収入がどれだけだったか記録に残っていない。しかし、直江津へ入港する苧船などの支払う船道前(入港税)だけでも、年額4万貫(10億円相当…昭和63年当時で)を超えたという。」
「上越ふるさと事典」
上越ふるさと研究会 昭和63年