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左義長の「左」は?

左義長(さぎちょう)に「左」を使うのはどうしてなんだろう。
毎年、左義長の火を見る度に思うのですが、自宅の正月飾りを火の中に突っ込んでいるうちに忘れてしまいます。
その場でスマホを使って調べたこともあった気もしますが、読んでいる途中で知り合いなどから声をかけられ、年始のご挨拶しているうちに結局、あやふやに。
 
ということで今年はメモとして残しておきます。
左義長は1月14か15日の朝、その年に飾った門松やしめ縄などを持ち寄って焼き、
出迎えた歳神を炎と共に見送るために行われ、
その火で餅を焼き、灰がついていると風邪をひかない、
書初めを焼いた時に火が上がると字が上達するなど様々な話を祖母から教わりました。
 
近年、成人の日が1月15日から1月の第二月曜日になり、
それに合わせて、第二日曜日(写真の結神社)か第二月曜日(僕の住む地区)へと日時が変更していきます。
 
起源は諸説あるようで、有力なのが、平安時代の宮中行事。
竹をたて、その上に短冊や天皇の吉書(儀礼的な文書)を結び付け、陰陽師が謡いながら焼いて天に送ったとのこと。
毬杖(ぎっちょう……毬をホッケーのような棒(杖)で打ち合う正月遊びで利用する道具)3本をテントのようにして結んで焼くことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれたらしい。
 
近世以降、「左義長」の文字に。
これは故事(訳経図記)に、仏教の書を「左」に道教の書を「右」に置き、焼いて優劣を試みたところ、仏教の書、つまり「左」が残ったという俗説から来ているのだとか。
 
だから「左」の文字なのかぁとすっきりしたけれど、来年、また忘れちゃいそうです。
来年も同じことを綴っているかもしれません。
 
そうやって年を重ねているうちに、左義長もなくなるかもしれません。
消防法やダイオキシン問題などで全国的に減っているようです。
僕の住む地区も、10年ほど前までは田んぼで大がかりにやっていたけれど、
今はドラム缶を使ったミニ左義長になっちゃったからなぁ。
 

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