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重い病を告げられたら、その後、どう生きるか。
もし、重い病を告知されたら……自分はどう生きるか。
いつもではないけれど、時折、友人の顔が浮かび、考えることがあります。
30代半ば、ホワイトマンプロジェクトで大きなイベントに挑戦した時のことです。
制作スタッフから、「彼女にも手伝ってもらいたいんだけれど」と紹介されました。
どなたからも好かれそうな可愛らしい方で、「もちろん」と即答します。
仕事が早くて正確でした。
元々、有名な芸能事務所のマネージャーをされていたことも影響していたのかもしれません。
特に金銭感覚が甘い僕に対し、制作として優しく苦言を呈してくださり、僕たちは「学級委員長」と呼んでいました
ホワイトマンの事務所に行く時間がもったいないので、
僕のアパートで作業するようになり、
他のメンバーも泊まり込んで作業していた際、
彼女も一緒に泊まり、雑魚寝していたことも。
イベントが終わってから彼女は入院します。
癌でした。
芸能事務所にいた頃からですからと病院で笑っていたけれど、
そんな彼女に無理をさせたことを詫びました。
退院したと連絡をいただき、
ホワイトマンでダンス映像を自分の作品として撮りたいと相談を受けます。
映像作品を撮ることは彼女の夢の一つらしい。
振付師を用意して、レッスンするなど制作らしい段取りは完璧で、
芸能事務所時代の伝手なのか、普通では借りられないようなスタジオを借りてきてくださり、撮影が無事、終了します。
その後、僕も旅が多くなり、半年ほど連絡を取り合っていませんでした。
彼女が亡くなった話を聞いたのは成田空港を降り立ち、メールが繋がった時。
妹さんからでした。
既に一カ月ほど前に亡くなり、家族葬で済ませたとのこと。
姉から再入院のことも、葬儀のことも伝えないでほしいと言われたらしい。
撮影した時は既に転移していたのでしょう。
彼女の行動や言動が病気の具合と結びつき、その晩、僕は部屋で泣き続けました。
旅行作家としてデビューしてからは、
本を上梓する度に、彼女が眠る茨城の墓に届けに行きます。
4年以上、出していないので、すっかりご無沙汰になってしまっているけれど。
昨日、テレビに流れていた黒澤明監督の映画「生きる」を観ながら、思いだしました。