![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93823172/rectangle_large_type_2_a5122a0354bd8febe4ec335ecc18ea7a.jpg?width=1200)
撮影監督が書家に
約30年ぶり、正確には32年ぶりの再会でした。
高間賢治さん。
日本の映画界に「撮影監督」というパートを最初に持ち込んだカメラマンの先駆者です。
三谷幸喜さん初監督作品「ラヂオの時間」(日本アカデミー賞優秀撮影賞受賞)や椎名誠さんの映画作品「あひるのうたがきこえてくるよ」、僕の大好きな「十二人の優しい日本人」など携わった名作は数多い。
高間さんと出会ったのは、岐阜で撮影された映画「薄れゆく記憶の中で」。
大学生だった僕が初めて映画の撮影現場を体験した作品でした。
当時の映画製作は億単位のお金がかかると言われた時代です。
そんな時、プロデューサーの永井正夫さん(「失楽園」、「武士の家計簿」、「のぼうの城」など)、北村良輔さん(現在はPRのプロとして活躍されています)が約3000万円の低予算で映画を作ろうと立ち上がり、
高間さんも、その心意気に乗って参加されました。
スタッフはホテルに宿泊できず、寺(「楽市楽座」で知られる岐阜市内「円徳寺」)の境内にある集会所が宿です。
もちろん、全員、雑魚寝でした。
僕は「制作進行」という役職をいただくのも申し訳ないくらいダメな「使い走り」で、
当時、自家用車で使っていたパジェロを撮影部の車とし、運転手もしていました。
その時、たいてい助手席に乗っていたのが高間さんで……と当時の思い出話を始めると止まらないので、このあたりで。
本題は、ここから。
そんな高間さんは、現在、書家「高間青山」としても活動されています。
昨日、国立新美術館で再会し、初めて作品を拝見しながら様々な話をうかがっていました。
書と出会ったのは、孤高の書家「井上有一」の作品群を撮影する仕事。
子どもの頃、習字が嫌いだった高間さんが「こういう書もあるのか!」と興味が沸いたそうです。
それから時が経ち、5年ほど前、あるCM撮影で関わった制作プロダクションの社長が習っていた書のサークルに誘われ、そこから一気にのめりこんでいったのだとか。
「この歳になって、新人賞(賞の細かい名称忘れました。スミマセン)ってのも新鮮だよね」
子どものような笑顔は全く変わっていませんでした。
憧れます。
SNSに上げても問題ないとおっしゃったので、「一期一会」と書かれた高間青山作品をここにアップしておきます。
まさに高間さんとも一期一会。
大切にしたいと思います。