マラドーナと世界の歴史
サッカーの試合を観ることは好きですが詳しくなく、
サッカー好きの人たちが語る「あの試合の誰々のプレイ」となるとついていけません。
「あれ?元サッカー部でしたよね?」
とからかわれることも多い。
それでも80年代のメキシコワールドカップのアルゼンチンとイングランド戦のマラドーナの「神の手」と「5人抜き」くらいは憶えています。
ドキュメンタリー映画「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」を拝見しました。
昨年11月に亡くなった彼はブエノスアイレス郊外のスラム街で育ち、
アルゼンチンリーグ史上最年少でプロデューして家族を養い、その後、世界へ活躍の場を広げていきます。
彼の行くところは既に人だかり。
「映画にも買い物にも行けない」と嘆き、
表情も変わっていき、
その頃にマフィアとつながり、コカインで人生が狂っていき……と僕が綴るとチープな映画紹介になってしまいますが、単なる名サッカー選手の伝記映画には思えませんでした。
1980年代、フォークランド紛争(英語圏ではフォークランド戦争)で、アルゼンチンがイギリスに負け、それから数年後に、
メキシコワールドカップの準決勝でイングランド戦と闘うことになり、
マラドーナがイギリス人を置き去りにしてゴールを決める……
「私は泣きたい!おお神よ!フットボール万歳!」
熱狂するアナウンサーの気持ちにアルゼンチンの国民の気持ちが重なります。
一方、プロサッカーリーグでは喧嘩別れのような形でスペインを離れ、当時、あまりパッとしないイタリアはナポリのチームに移籍しました。
北部の富裕層と相反するイタリア南部の人たちは貧民街で育った彼の生い立ちに魅了され、しかも、そこで彼はナポリのチームをクラブ史上初のセリエAの優勝へと導いていく……など、
様々な背景が絡み、純粋にサッカーを楽しみたかったマラドーナが世界情勢の中に放り込まれた被害者にも見えてきたんですよね。
写真はブエノスアイレスで拝見したアルゼンチンリーグのサッカースタジアム。
サポーターが過激なこともあり、警備は物々しかったです。