絵を観てから説明を読むか、説明を読んでから絵を観るか
説明を読んでから絵を観るか、絵を観てから説明を読むか。
空いていれば、絵を観てから説明を読み、そして再度、絵を観るかなぁ。
美術館における鑑賞の話です。
最初は情報にしばられることなく、自由に観たいんだよなぁ。
どこかで観たことがある絵だと、情報にとらわれないで観ることはなかなか難しいけれど。
ミロ展に伺いました。
ミロの絵は、無意識、偶然の世界を大切にした(「シュルレアリスム」と呼ぶのだとか)絵が多い。
説明を読んでから絵を観ても、「?」のことが多く、
逆に絵から観て感じた方が、「おっ?」と直感で気づくことがあります。
もちろん間違っていることばかりですが、それでも作家と通じ合えた気になって嬉しいんですよね。
完全な自己満足だけれど。
音声ガイドも利用しているので、ついつい先に押し、
解説にしばられて観ることもあるけれど、
ミロの場合、解説を聞いて読んでから観ても、「?」の部分が多いのも楽しい。
左脳ばかり使う日々が続くと、絵を観ながら、描いた年代と世界情勢や彼の年譜と重ね合わせて、絵と結びつけるなど説明的に見がちで、
それはそれで謎解きのようで楽しいですが、
「これ、アンパンマンに出てきそうなキャラクターだなぁ」
「Tシャツにしたいなぁ」
など軽い気持ちで観ると、その時の自分の状態や環境によって見え方も変わって楽しい。
だから、何度、観ても飽きないんだろうなぁ。
「孫が描く絵みたいだわ」
女性二人組のおばさまが絵の前でポツリと言って去っていき、思わず微笑んでしまいました。それって、最大の誉め言葉じゃないのかなぁ。
写真は撮影可能だった作品「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」。
彼は文字を絵に入れることもあり、絵画詩と呼びました。