ミゼットIIが旅立ちました
ミゼットⅡが旅立ちました。
8年ほど前、神奈川県小田原市を散歩中に一目惚れして衝動買いし、
その後、成田空港からシンガポールに向かう予定だったので、滞在中にメンテナンスをお願いして、
帰りに再び立ち寄り、
安八(あんぱち)町まで一泊二日かけて、ゆっくり自走してきた車です。
ヤギ除草の運搬用にしようと、ヤギのステッカーも貼りました。
しかし、彼らは屋根付きの車はお嫌いのようで、
数百メートル先の野球場の除草に連れていった一度きり。
当時の僕は、公共交通機関とレンタカーで十分な生活で、
結局、ミゼットⅡは要介護になる前の母が安八温泉や病院などの足として、
もしくは旅番組や自転車を積んでニホンサンポなどで利用するくらいだったと思います。
それでも、散走には気持ちいい車で、途中、ウッドデッキの荷台に座ってコーヒーを飲む時間が好きでした。
2年ほど前、ハスラーに乗るようになってからは、さらに利用することはなくなります。
この車を欲しいとおっしゃる方が現れたこともあったのですが、なかなか手放す気にはなれませんでした。
先月、近くのスーパーで買い物して自宅に戻った時のこと。
インド系の若い男性が待っていました。
雨も降っているのに傘もささず、
「クルマヲ ウッテクレマセンカ?」
と名刺を差し出してきたのです。
「今は売らないけど、もし、売ることがあれば、ご相談します」と申し上げたのですが、僕の断り方では伝わらなかったのでしょう。
2週間ほど経ち、再び、彼が訪ねてきました。
先月の僕は、母の介護以外の日は、外出が多かったので、何度も訪ねてきてくださっていたようです。
「ウッテクダサイ!オネガイシマス!」
話を聞くと、どうやら新入社員らしい。
ただ、その時も、母の訪問医療の時間に重なり、バタバタしていたので、メールしますと申し上げました。
メールに、ゆっくり対応できる日時を書いて送ると、今度は、彼より日本語ができるスリランカ人の社長を連れて一緒にやってきました。
新入社員の彼の目を見ているうちに手放そうかなぁと思ったのです。
以前、この車を欲しいとおっしゃっていた方にも連絡し、状況を説明して承諾を得て、手放すことにしました。
そして昨日。
野球好きで小学4年生になる社長の息子さんも連れていらっしゃいました。
実は彼が一番、日本語が堪能で、社長の通訳になることも。
ミゼットⅡが旅立つまでの1時間の間に、エンジンはじめ様々なトラブルもありました。
2年近く一度もエンジンをかけていなかったのですから仕方がありません。
車の修理ができる近所の先輩が在宅中だったので、頼んで来てもらい、応急処置をしてくださり、
修理している間、海外で日本の古い車の人気ぶり(オーストラリアで昔のスカイラインが1,400万円で売れたらしい)の話も教えていただきました。
なんとか自走可能な状態になります。
息子さんは、はしゃぐようにミゼットⅡの助手席に乗り、
新入社員の運転で旅だっていき、
約20分後、
「ツキマシタ!アリガトウゴザイマシタ!!コンゴトモ ヨロシク オネガイシマス!」
携帯電話に連絡が入りました。
どこかで、また、あの車に会える日が来ることを楽しみにしています。
自分が書き込んだ本を日本で売って、インドの古本屋で見つけた人のように。