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映画プロデューサーとゴールデン街のママのダブルワーク?

路頭に迷っていた僕を拾ってくださったのが安西さんです。
24歳の春でした。
全国の自治体を丁寧に描く映像制作、
50万人が見物する浅草サンバカーニバルの広報など、
様々な体験を与え、僕の人生を作ってくださった方の一人です。
 
3年ほど前、移転した安西さんの会社に伺いました。
フランスなどヨーロッパで人気の柳町光男監督の作品から台東区ケーブルテレビの運営、海外向け番組から鉄道コンテンツのDVDまで幅広い映像制作で知られる会社です。
 
母性本能があふれ出す温かさと気風のよさ、好きなことを貫くイキイキ度は70歳を超えても全く変わりません。
落語への造詣もあいかわらずです。
 
僕がお世話になっていた頃も、柳家小三治、桂文朝、入船亭扇橋の三人話を定期的に企画運営されていました。
昨日、うかがったら10年続けたらしい。
その後、小三治さんからマネージメント業務のラブコールを断り続け、
結局、最終的には「わかったわよ。やればいいんでしょ!」といつものごとく、引き受けます。
映像制作会社の社長を続けながら。
これまた昨日、うかがったら結局、次の方にバトンタッチするまで15年続けたらしい。
記録を残すのが嫌いな小三治さんの記録を3年半も撮り続けて完成させたドキュメンタリー映画「小三治」は、今も語り継がれ、落語業界どころか、日本にとって貴重な宝物です。
 
また、41歳の時に脳溢血で右半身不随になった林家かん平さんのリハビリ、母の介護、新作落語への挑戦の日々を撮り続けて完成させたドキュメンタリー映画「涙の数だけ笑おうよ」も、笑って泣いて元気をもらう作品として、今後、更に上映機会は増えるのでしょう……など安西さんの活動を書き始めると止まりません。
 
暴走族のドキュメンタリー映画「ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPERORブラックエンペラー」の映画製作とゴールデン街のママとのダブルワーク時代の話から始まる安西さんの濃い人生は、様々な側面から一度、丁寧に聞いてまとめておきたいなぁと、お目にかかる度に感じるんですよね。
結局、呑んで忘れちゃうけれど。

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