記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【読了】少年アリス/長野まゆみ

あらすじ

ある夏の終わりの日、友人である蜜蜂と蜜蜂の飼い犬である耳丸と共に夜の学校を訪れることになったアリス。いつもと違う夜の学校では、見知らぬ少年たちが授業を受けていた。偶然、目撃者となってしまったアリスは転入生と勘違いされ一緒に授業を受けることに。一方、行方不明になってしまったアリスを探す蜜蜂。

本を読んだ経緯

再読の一冊。
最初に読んだのは、中学生の時。

美しい単語の数々と幻想的な空気、今までに読んだどんな作品にも似ていない、独自の世界観。

長野まゆみという作者が構築するその美しい文章に眩惑され、酩酊し、揺蕩っていたのを覚えている。その後、何冊か長野まゆみの作品を立て続けに読んだ。

ただ、途中から、BLの空気を感じてしまい、中学生だった僕は気恥ずかしさを感じ、長野まゆみの本を手に取ることがなくなってしまった。中学生男子にとって、男同士の恋愛が出てくる本を、友人もすぐ隣りにいる図書館で借りる勇気はなかった。

そんなこともあって、ずっと再読したいと思っていたのが「少年アリス」だ。

感想

帯には「群青天鵞絨色のメルヘン」と書かれているし、初めてこの作品を読んだ時には、ただ美しいメルヘン作品として読んだ記憶がある。美しい文章の流れ、雰囲気、空気感を味わうための作品……と解釈していた。

ところが、改めて読むと、結構なホラー作品のように感じられる。

暗い夜の学校で、身体の大きな教師がアリスを押さえつけるシーン。空を飛べないアリスを露台の手摺りから突き落とすシーン。再び押さえつけ、無理やり戸棚の中へ閉じ込めてしまうシーン。閉じ込められた戸棚の中から必死で助けを呼ぶも、友人からは自分の姿が見えなくなっているシーン。

暗い夜の自分を押さえつけようと迫る大きな手がありありと想像できてしまった……。しっかりホラーで怖い。

考察(ネタバレあり)

良く読んでみると、それも当然で、この本はたんなる美しいメルヘンではないことに気付く。

「水蓮の開く音がする月夜だった」

これは、冒頭の一文。この小説では、沢山の植物が背景に描かれる。
凌霄花のうぜんかつら烏瓜からすうり夜合歓ねむの木、柊木犀、くぬぎいいぎり、沈丁花など沢山の草花樹木が登場する。

また、「東の空から現れた満月は天蓋の南側をゆっくりと這っていった」とも書かれている。満月の上る高度は季節によって異なる。夏の満月は南寄りに低く這う。

作者は間違いなく自然への造詣がとても深い―――ファンタジックでありながら、天体の動きも現実に即している―――にも関わらず、冒頭から矛盾する一文を持ってきているのだ。小説の冒頭の一文はとても大事なものだ。冒頭の一文が響くかで、読者がその世界に入っていくかが決まる。考え抜かれて巧妙に配置された一文のはずだ。

水蓮は、その名の通り、水の上を揺蕩うように咲く。しかし、水蓮の花は、昼間に花開き、午後にはその花を閉じてしまう。だから一般に「睡蓮(睡眠する蓮)」と表記される。作者がこの花の性質を知らないというのは無理がある。茉莉花じゃすみんや月下美人じゃないのだから、水蓮が夜に花開くわけがない。

「水蓮の開く音がする月夜だった」

決して「水蓮の開くような音がする月夜」ではない。実際に「水蓮が開く音がした夜」なのだ。満月の明かりをたっぷりと受け、花開く水蓮はさぞ美しいだろう。そんな矛盾が起こる特別な夜なのだ。それに気が付いた瞬間、背中がゾッと凍った。

物語の後半、蜜蜂は「螢星は消えてしまったよ。こんなふうに突然消えてしまうんだね」と言う。これは夏の終焉と秋の訪れを意味する。夏が終わり、秋が来る特別な夜なのだ。

淀みの中で一粒の銀の実が漂っている。水中で開いた睡蓮のような蜜蜂の細い手の上に、虚な影を落として浮遊している。蜜蜂は水面で屈折した自分の手が体から離れていくような錯覚を感じて身震いした。

本文より

その時の描写では、「睡蓮」と書き分けがされている。これだけ「言葉」にこだわる作者だから、当然意図してのことだろう。

銀の実は、物語の中でもとても重要なアイテムだ。黒鶫に変えられてしまったアリスが人に戻る鍵となる。”孵化できずに巣の中に置き去りにされてしまった卵”=死んだ命と考えると、アリスが黒鷺に変えられてしまったということは、アリスが死んでしまったことを暗に指し示す。

対して、蜜蜂は生きているから”水蓮”ではなく、”水中で開いた睡蓮のような蜜蜂の細い手”と表現されるのだ。

最後に、黒鶫になってしまったアリスに銀の実を食べさせ、人の姿に戻したのは、果たして「正解」なのか?このシーンでは、黄泉つ竈食を思い出す。イザナミ然り、ペルセポネ然り、古今東西にわたり死者の国の食べ物を食べるというのは死者の国の住人になるということ。決して縁起の良いものではないのが、通説だ。

秋の死者を助けるための銀の実を食べたアリス。無事に人の姿に戻ったのは、「生き返った」と読み解くのか、「罰を受けた」と読み解くのか。

生まれることができなかった代わりとして、夜の間、自由に姿を変えることができるようになった鳥。秘密を知ったことで、黒鶫に変えられたというのは、代わりに飛ぶ力を与えられた(仲間入り)ということでもある。飛ぶ力を失い、地べたを這うしかなくなったアリス。これをハッピーエンドと受け取って良いのか。本当にアリスは「生き返った」のか。それとも別の”ヒト”になったのか。

単純に、少年の不思議な冒険からの成長譚として素直に受け止めるは、どうにも奇妙さが感じられる気がする。ラストシーンでアリスは、蜜蜂の兄に石膏の卵を作ることを勧める。自分と同じ体験、いわば危険を兄に勧めている。

なんだか、ほんのり怖く感じてしまうのだ。

いいなと思ったら応援しよう!