おべんとう🍙
こんにちは。意識低い低いちゃんです
皆さまは「お弁当」といえばなにを思い浮かべるでしょうか???
私は真っ先に母親に作ってもらうお弁当を思い出す。
私のお弁当人生はおそらく人より長く、
小学校高学年から現在に至るまで「お弁当」というワードが生活に密着しているとおもいます
小学校高学年時代は夜お塾に通っていたため夜ご飯お弁当をせっせと作ってもらい、
中高生時代は学校で給食が出なかったため6年間毎日朝5時に起きてせっせと作ってもらっていた。(感謝しかない)
母の尊敬するべきところは毎日欠かさずお弁当を作ってくれるだけでなく、バラエティーに富んだお弁当アイディアもすばらしかった。
夜ご飯弁当は豪勢に、お肉、お野菜もしっかりで手作りデザート付きだった(いじめっ子にいつも食べられていた)
お昼ご飯弁当も白ご飯を嫌がる私にパン弁当を持たせてくれたり、グラタン弁当なんかもあった。
母は嵐ファンでもあるので(活動休止の知らせを受けて現在は瀕死状態)、ニノの切り抜きを弁当に貼って、吹き出しで「マラソンがんばれ!」とかメッセージを書いてくれた。
こんな風にまあまあな確率でヘンテコな弁当を作るもんだから、周りの友達は毎回私のお弁当に「今日はどんな弁当??」と期待の眼差しを向けられていた。
今考えるとめっちゃ美味しかったし、ありがたいお弁当でしたが、お年頃の意識低いちゃんは
「やめてよ!恥ずかしいわあんな弁当!」
と突っぱね、コンビニで買う昼ご飯を所望したが(コンビニでご飯買う方がカッコいいみたいな風潮あった)、母は私の栄養バランスを考え、そしてそれなりに目立ちたがり屋さんということもあり、ヘンテコ弁当は高校卒業するまでずっと続いていた。
とまぁヘンテコ弁当で多感な時期を過ごした私は大学入学とともに上京し、
自炊を始めてからもお弁当は自分で作って持って行くものという意識が刷り込まれていた。
以下画像より意識低いちゃんの料理スキルの成長を見守ってほしい。
▼大学生初期
おかず覚えてへんけどお弁当箱も相まってクソまずそう
▼大学生後期
木のお弁当箱も買ってインスタ映えを狙ったお弁当づくりを心がけていた時代。
大学の授業遅刻してでもお弁当を作っていた
▼そして現在
映えもクソもない
お弁当ですらないしそもそも食べ物なのかどうかも怪しい写真だが、怒らないでほしい。
右上から順に、
・レンコンのクミン炒め(ナンプラー味)
・なすのピーナッツバター炒め
・鶏団子二種(中華味/味噌味)
鶏団子中華味は土日に餃子パーティーして残った餡。それぞれ味は美味しい。
社会人になった意識低いちゃんは変わらずお弁当を作って持って行く意識は存在するものの、
1秒でも長く眠りたいため、
土日に常備菜を作って平日の朝の作業はお弁当箱におかずを詰めるだけにしている。
毎日全く同じ弁当になるが細かことは気にしてはいけない
とまぁ意識低いちゃんの料理スキルの成長(退化?)記録は以上となるが、
毎週土日にこれからも常備菜を作る予定なので気が向いたら記事にしたい。
なんか長々と語ってしまったので締め方わからんわ
ていうか長いわ〜〜〜分けて書いた方が良かったかも
最後まで見ていただいた方はどうもありがとうございます。
最後まで見てへん方もこの記事を開いてくれてありがたいです。
こんなかんじで自己満足でゆるゆるとこれからも書いていきますがどうぞよろしくおねがいします。
では
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