哲学と自己分析はほぼイコール?
誰にだって絶対に譲れないことがありますよね。
僕はこれは哲学だと思ってます。
例えば
「行列のできるラーメン屋で横入りは許せない」
とか
「ポイ捨てする人とは仲良くできない」
みたいな些細(些細というか当たり前)なことから、
「質問するときは相手の時間が無駄にならないように気を付けている」
とか
「朝は始業30分前には出社する」
みたいなビジネスよりの譲れない自分ルールがあると思います。
とある友達が「俺にはデートの流儀がある」と言ってたんですが、これも哲学です。
・デートで相手にお金を払わせない
・デートは相手を楽しませるものだ
・デートでは絶対に食事をする
昭和かよ、って思ったんですが、
こういった自分が大切にしていることはすべて哲学かな、と。
そして、これは必ず
自分が育った環境や体験、人間関係から形成されたものです。
先ほど例に出した
「朝は始業30分前には出社する」
みたいな拘りがある人でいうと、
「私は事前準備をしっかりする人です」
とかっていう人柄が浮かび上がってくる。
僕で言うと、
「齟齬のない言葉を選ぶ」ことに拘りがあります。
日本語って微妙なニュアンスの違いで意味がちょびっと変わることが多いじゃないですか。
「寒い」っていうのと「さむっ」っていうので
印象違うじゃないですか。
そういう細かいことにこだわってます。
なので、そういった哲学のエピソードから、「コミュニケーションを大切にする」みたいな人柄が浮かび上がってくるかな、と。
他にも「誘われたら断らない」っていう信条もあるんですが、
これは「体力とスケジュール調整能力があって、かつ人間関係を大切にする」みたいな人柄になります。
これは自己分析なのでは、と思うわけです。
こういう拘りとか哲学ってたくさん振り返るとたくさんないですか?
思いつかないよって人は「◯◯されるとイライラしてしまう」みたいな負の感情から探るのがやりやすいと思います。
僕でいくと、生きてて一番嫌いなのが、降りてる人がいるのに電車に乗り込んでくるせっかちな方々なんですが、ここから導き出せる方程式は
「自分のことしか考えていない不合理な人が嫌い」
=「他人のことを考えて、合理的に行動することを心がけている」
となる訳です。
こういうこだわりを洗い出して、
そこから方程式としてイコールで繋いでいくことで、「自分はどういう人間なのか」を抽象化できると、それは自己分析になるよ、っていうお話でした。
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