目標設定について。目標設定の重要性、意味、コツ。
松島宏佑に与えてもらったお題。いくつかめ。
「石川さんが考える、目標設定について。目標設定の重要性、意味、コツ。」
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目標設定、という単語に触れると、どうしても最初に出てくるのが「5タイプ(ふぁいぶたいぷ)」のことで、
もうホントに、これ作った人に、ちゃんと本とかにして欲しいんだけど、そういうのがないから勝手に説明してしまいますが。
人によって時間軸とかが違うっていう話ですが
【未来型】30年後の目標とかをハッキリと設定できる。そこから逆算した計画をきっちり立てて、遂行できる。
【前進型】1年後くらいの目標を設定できる。その目標は更新され続ける。3ヶ月経てば、またそこからの「1年後の目標」が設定される感じ。
【現在型】「将来の目標は?」と聞かれても困っちゃう。けど「あなたが大切にしていることは?」とか「今日、何を大事にして過ごしたい?」と聞かれたら、すっと出てくる。
【後進型】超長期の抽象的な目標がありつつ、そこに向けた未来の計画とかちょっと。。。でも「振返ってみて」ああ、点が線になってるなぁ・・・って感じながら生きる。
「4つしかないじゃん」っていうツッコミはちょっとすいません、ここではおいときます。
まず「目標設定」って言っても、やっぱりそこには個性があるよね、と思います。どんな話でも僕は「まぁでも、個性とかあるよね」ってどうしてもまず出てくる。
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目標設定の意味は、「自分の時間に意味をもたらす」ということだと僕は思っている。
「この時間に意味がある」と思えることは、人間にとって結構根源的に大事なことの一つじゃないかなと思う。
(僕のとても尊敬しているある人は「人生に意味なし。ただ生きるのみ」って言ってて、それはそれで分かる気がするけど、それはどこかでまた)
セリグマンが研究したところ「自分の人生を幸福と感じる」ということに最も相関した要素は「自分の人生には意義がある」ということだった。(気になる人はTEDでセリグマンを検索してください)
宗教や、神というのが、健全に機能するときというのも、そういうことだと思う。「この時間は、神に与えられた大切な時間なのだ」と当人が思えること。当人にとって「・・・だから、とても意味がある」と思えるということ。
それを宗教や神は与えてくれたりするから、信者にとってはとても大事なことになるんだと思う。そういう人にとっては「神の思し召しのままに」みたいなことが目標設定となる、と思う。
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穴掘り囚人、という話をちょいちょいするんだけど、昔ヨーロッパでそういう刑罰があったらしい。
何度も何度も囚人に穴を掘らせては埋めさせて、耐えられなくなった囚人が「これ、なんか意味あるんすか?」と聞いてきたら「意味はない」と看守が答える、っていう刑罰。
いや、きついよね。意味ないことを延々とやらされるのは、精神衛生上、とてもきつい。
逆に言えば「今日も一日、意味あることに自分の時間が使われた」と思って眠りに就けるなら、それは人間として、結構精神的に健康でいられるんだろうと思う。
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だから、目標設定っていうのは、とにかく当人にとって「意味をもたらす」ということが重要で、その目標が意味をもたらしてくれないのなら、それは目標としての機能を果たしていない、と僕は思う。
どんな目標が自分に意味をもたらすか、それは自分にしか決められない。
昔、こんな番組をやってて、ちょっと意図的な編集を感じなくもなかったけど、分かりやすかった。
オリンピックにでる女子マラソン選手3人。ドキュメンタリーって感じで追っかけていて。日本人選手「私のために、走ります。」ロシア選手「家族のために、走ります。」アフリカのどっかの国の選手「国家のために、走ります」みたいに言ってて、全員、ものすごく情熱的に練習を重ねている、っていうストーリーで。
どの目標が正しい、みたいなことはなかなか言えるもんじゃないと思うけど、当人にとってどんな目標が機能するものなのか、その違いを端的に現わしていて面白かった。
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目標なんかなくたって、幸せ、充実してて、人生を満喫しているんなら、別に要らないんだと思う。
でもやっぱり「なんのためにやってるんだろう」「なんかのためになってるんだろうか」そんな問いを、ついつい持つのが人間なんじゃないかなと思う。
「人生に意味なし。ただ生きるのみ」っていうのは、そういう意味じゃ(僕は好きなんだけど)、人間を卒業しようとしているようにも見える。
・・・でも、母親が子供のおむつを替えるとき「なんのためにやってるんだろう」っていう問いは、持っていない気も、それはそれでする。
いやもちろん「子供にすくすく育ってもらうために」。それが目標で、そのためにやってるんだって、そう言語化することもできるかもしれないけれども。