才能・・・かぁ。。。
松島さんからもらったお題、いくつかめ。
才能、とは何か。才能は存在するのか。センスとは何か。それは育めるのか、見いだせるのか。
才能かぁ。。。
なんかあんまり「書きたくない」って気持ちが湧いてくるところが面白い。書くけど(笑)。
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才能って、一般的な文脈では「あいつは才能がある」「あいつは才能がない」みたいな使われ方をするんだと思います。
イチローは、きっと野球の才能があったんでしょうね。プロ野球の世界に入ったけど、一度も一軍に入れなかった、みたいな選手は野球の才能がなかったのかもしれない。
僕は高校時代バスケ部で、多分、部員の中で一番練習してと思う。でも僕は最後までスタメンにはなれなかった。試合には出れたけど、スタメンで出たことはほとんどない。自分でも「バスケの才能がある」とはとても思えなかった。
ジャンプ力や瞬発力が全然違う。持久力だけはチームでもトップクラスになれたけど。
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ふと、思い出して涙が出てくる。
体育教官室というのがあって、バスケ部の顧問の先生の席があった。ある日用があって体育教官室に入ったら、先生の机に、部員の顔写真が並んだ紙があって、一言ずつコメントが書いてある。「ドリブルがいい」とか「リバウンド」とか、ホントに一言。
すごい愛があるけど、怖い先生だった。みんな畏怖してた。
僕の写真のところに当然目がいく。
「声がグー」
それが僕のところに書いてあった一言だった。
嬉しかった。
嬉しかったなぁ。。。。
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才能というものが、ある結果を出すのに必要な能力のことで、努力では補いきれないような「差」のことを才能だというのなら、きっとそういう才能ってやつはあるんだと思う。
同じだけ努力した、いや、努力だったら誰よりもした。だけど敵わない。そういう「才能の壁」みたいなのって、やっぱりあると思うし、才能ってあるんだろうなと思う。
そういう意味で才能という言葉を使うなら、金メダルを取った選手とか、ホームラン王になった選手とか、そういう限られた人たちだけが持っているものが「才能」だってことになるんだと、思う。
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母親って、特別だ。
そうじゃない人もいると思うけど、結構多くの人にとって、母親って特別じゃないかなと思う。お腹から出てくるって、すごい。
「僕にとっての金メダルは、ブレることなく母親だ」みたいなことがあるときに、才能ってなんだろう、って思う。
ホームラン王が相対性の中の才能としたら、
母親の愛は、関係性の中の才能、みたいに呼べるのかもしれない。
「誰が何と言おうと、俺にとっては唯一無二なんだよ」
そう思わせるものも才能と呼んでいいのなら、全ての人に才能は宿っている。間違いなく。
あのとき、先生が、僕にくれたあの一言は、
僕の才能を見出し、認め、伸ばしてくれた一言だったんだと、今書いていてあらためて深く感じる。。。
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「私にはあなたを愛する才能があります」って、そんな風には普通言葉は使わないよね。
でも、すごい特別な才能なんじゃないかな、って思うわけです。
他の人には発動しない能力。他の人からはこれほどの愛はもらえないと思うほどの能力。それも”才能”だったりしないかな。