旧来型組織の課題①~目標の設定方法
■主体性、創造性、モチベーション3.0の重要性
主体性の高さというものはとても大切です。古くはフランクリン・コヴィーの「7つの習慣」でも、主体性の高さの重要性が説かれています。
ダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」でも、主体性創造性の高さの重要性が指摘されています。そして金銭的報酬によるアメとムチの管理(モチベーション2.0)が、むしろ人間の創造性を阻害してしまうことを伝えています。
ビジネスにおいて、社員一人一人の主体性や創造性の重要性は日に日に高くなっています。様々な産業が成熟化し、差別化が難しくなっているなかでは、イノベーションを起こせるような創造性が必要なのです。
私が子供の頃の感覚では「手作り」のものはなんとなくダサい、といった印象がありました。売っているもの、既製品、そういうものの方が「カッコいい」という感覚です。いかがでしょうか、年代や地域によっても違うと思いますが、昭和の後半にはそういう雰囲気がある程度あったように思います。
戦後の日本は、製造業の時代だったと言って過言ではないと思います。1950年から2000年あたりの半世紀ほどは、自動車、家電といった製造業が社会の花形産業であったと思います。
洗濯機が普及し、白黒テレビがカラーテレビになり、マイカーが普及し・・・モノが増えることと、国全体が豊かになること、人々が幸せになることは、かなりの部分比例していた時代のように思います。
しかし、今ものは溢れています。テレビは一家に一台が一人一台になり、「画面があるデバイス」という意味では、本当に一人一台になってきています。自動車も、世帯別所有率でいうと、ほぼ平均「一世帯一台」といった感じになってきています。
持っているものの機能が向上することはあっても、そもそも「新しいモノ」ということはかなり難しくなってきている時代だと思います。
そして今度は「既製品がカッコいい」ではなく、ユニークな、独自なものへの価値が相対的に高まっているように思います。独自性のある、ここでしか手に入らない、手作りの世界で唯一のモノ・・・といったようなことです。
創造性・イノベーションの重要性が高くなっていると言えます。
そして、社員一人一人に創造性を発揮してもらおうと思ったら「モチベーション2.0」ではなく「モチベーション3.0」で動いてもらう必要があります。
■与えられたノルマなのか、内発的な目標なのか。(ビジョン共有と共有ビジョン)
「与えられたノルマ」であれば、受け身感、やらされ感を払拭することは難しくなります。アウトサイドインでは難しいのです。
それに対して、インサイドアウト、内発的なものでは変わってきます。「内発的動機」は、主体性、創造性の発揮の土台です。
アメとムチによる外発的動機付け、モチベーション2.0では、内発的な主体性、創造性の世界に辿り着きません。
「自分は何をしなければならないか?」という問いは、外発的動機付けです。「自分は何をすれば評価されるだろうか?」「上司は私に何を求めているのだろうか?」
表現にはいくつかのタイプがあります。
Will系 ~したい、~をする、~を望んでいる
Wish系 ~となるといいなぁ、~というのが理想です
Must系 ~しなければならない
Make系 ~させる
Not系 ~はしたくない、~は嫌だ
この中で、主体性の高い表現はWill系です。社員一人一人がWill系で話している組織は、非常に主体性の高い組織です。
よくあるのはMust系とMake系の組み合わせです。「現場に~をさせる」「私たちは~をしなければならない」というような表現です。これはモチベーション2.0の典型的な会話です。
Wish系もそれほど主体性が高いわけではありません。「こうなったらいいなぁ」「これが理想ですよね」という裏に「誰かが実現してくれないかなぁ」という主体性の低さが隠れていることがほとんどだからです。
意外と主体性が高いのはNot系です。「こうは絶対になりたくない!」「そうならないように私は動く!」というような主体性の高さが発揮されることがよくあります。
ビジョン共有と共有ビジョンという概念もあります。
ビジョン共有は「私が描いたビジョンを他者に共有する」というものです。共有ビジョンは「一人一人が描いたビジョンを持ち寄って、組織のビジョンを生成する」というものです。
ビジョン共有がダメだということではありませんが、自律分散型組織としては共有ビジョンとなるでしょう。一人一人の内発的なビジョンによって組織や仕事が生じているのです。
一人一人が「私はこの状態を実現したい」というものを描いて、それを持ち寄って共有ビジョンを生成します。(筆者は、ビジョンツリーというフレームワークによって共有ビジョンを生成しています)
こうすると、一人一人が内発的に、組織全体の目標に向かっていくことができます。
■上場企業におけるモチベーション3.0
上場企業においては「ロイクで5%以上」というような、達成すべき目標がまずそもそも存在している、ということがほとんどです。
株主資本主義の考え方に沿って、そのロイクを達成すべく仕事をしていかなければなりません。
しかしそれを「所与の条件」「最低限のノルマ」として捉えて、それ以上の目標を、社員一人一人が設定していくこともできます。
株主のためにロイク5%以上は達成しましょう。それはクリアしたうえで、残業を減らす、有休消化率を上げる、自分たちの給料を増やす、やりがいを高める、チームワークを良くする、よりお客さんに喜んでもらう・・・というようなことを目標として設定することはできるのです。
上場企業において「株主の利益のために働く」ということもできますが「株主への利益還元は最低限のノルマとして、顧客、社会、従業員、取引先、ステークホルダー全ての幸福のために働く」ということもできるわけです。
■ベンチャー企業によくある「スピード感の違い」
ベンチャー企業においてしばしば生じるのが、経営陣は「3年で10倍に成長する!」と考えていて、社員は「3年で1.5倍の成長でも十分」と考えている、というようなことです。
これも目標設定の違いとして現れてきます。実際には「目標に対するコミットメントの差、温度差」として現れることが多いです。経営陣が社員のスピード感のなさにイライラする、ということがよく起こります。
この問題の解決方法は、大きく二つのベクトルがあります。
一つは「スピード感の近いメンバーだけでやる」です。
もう一つは「多様性を受入れ、”組織としては速い”でやる」です。
コミットメントの度合が違うメンバーとは一緒に仕事をしていたくない、という起業家であれば前者を選べばよいでしょう。但し、この場合組織規模を大きくすることは難しくなります。組織規模が大きくなってくるとどうしても多様性が出てきやすくなるからです。
事業規模は組織規模が小さいままでも大きくできるかもしれませんが、組織規模を大きくしていって「スピード感の誓いメンバーだけでやる」というのは非常に難しいと思います。(これは多数の多種多様な組織を支援してきての素直な実感値です)
「組織としては速い」という選択肢もあります。社員一人一人は「3年で1.5倍の成長で十分」と思っていますが、「社員数を増やすことで事業規模・組織規模を大きくする」ということに経営陣がコミットしていれば、経営陣は経営陣の望むスピード感を達成でき、現場は現場で無理のないスピード感で仕事ができるということになります。
■生み出そうとする「価値」。目標設定の多様性。
株主資本主義の発想からすると「財務的利益」こそが唯一無二の価値だということになります。
しかしステークホルダー資本主義的に考える、財務的利益の向上だけが目的でもなければ、価値でもないということになります。価値にも様々な価値があり、目的にも様々な目的がありえるということです。
NPOの世界では「ソーシャルインパクト」という概念があります。1円を使って、どれだけよりよい社会を作り出せたか?という指標です。
資本の考え方も参考にできます。IIRC(国際統合報告評議会)の考え方では、資本には財務資本の他に、人的資本、設備資本、知的資本、社会関係資本、自然資本といったものがあります。
これは少しいいかえると「人の能力や成長にも価値がある」「工場やパソコン、ハードのインフラにも価値がある」「人々のノウハウ、特許などにも価値がある」「人々の信頼関係や絆にも価値がある」ということです。
実際に仕事における「価値」には、お客様の喜び、お客様からの感謝、個性を発揮できること、仲間との素晴らしい協働体験、できなかったことができるようになる成長の喜び・・・といったものがあります。
社員目線で考えると、財務的価値を伸ばし株主に還元するだけでなく、自分たちの給料を増やしたり、よりお客様に喜んでいただけたり、それによってやりがいを感じられたり、よりお客様に喜んでもらえるように素晴らしいチームワークを発揮する、ということも素晴らしい価値があるわけです。
この価値をそれぞれ伸ばしていこうという目標設定の仕方がありえます。
■これから企業の可能性
インターネットの出現によって社会全体の透明性は高くなってきました。
これはすごいことです。
内部と外部で言葉が違うような企業は淘汰されて行くでしょう。吉野家の「生娘シャブ漬け」発言は炎上しましたが、あのような「内側ではOKだが、外側ではNG」というような考え方をしていると、透明性の高い社会ではすぐにそれが漏洩して、企業の存続があやうくなります。
以前は「出血大サービス!」というような広告表現がありました、最近はそういった表現をみることは減りました。消費者の方もリテラシーが高まって「それは広告宣伝費としてやっているのであって、他のところで利益を確保していないといけないでしょ」と分かってきているからです。
こうして内部と外部の境界線は、昔よりも極めて曖昧になってきています。
これは企業側にとって難しくなってきている面もありますが、いい面もあります。例えば「従業員にインフレに対応した賃上げを実施します。その為にお客様にも販売価格の上昇を受入れて頂きたいと思います」というようなコミュニケーションが成り立つようになってきているのです。
以前は「会社の都合なんて知らないよ」「会社の都合を客に押し付けてくるな」というようなところもあったかと思いますが、ほとんどの社会人が会社員であったときに(日本の労働人口における会社員比率は●%です⇒出展●●)、「分かるよ、会社員としてはそうして欲しいよね」と許容してもらえる幅が広がっていると思います。
ちなみにもっと昔は、例えば大工さんに家を建てるのを頼んだときに「1年後から着工できます」と言われたときに「知らねーよ」「客が頼んでんだから寝ないで働けよ」というようなことはあり得なかったと思います。大工さんにも健康で幸せでいてもらおうというわけです。それは大工さんも同じコミュニティの一員である感覚をもっていたことが大きいと思います。地元の大工さんですから、みんなお世話になっていたわけです。
それが「企業」というワンクッションを挟む経済活動が一般化した後に、「企業で働いている人も、私と同じ人間だ」という感覚が強くなってきたということだと思います。
これからの時代は、内側の論理と外側の論理に乖離があることはリスクになります。それは社会全体の透明性が上がってきているからです。インターネットという情報共有技術があり、転職が当たり前になり「うちの会社のために滅私奉公」でもなくなってきたからです。ですから「身内だけの論理」でやっている、すぐに”晒されて”しまし”炎上する”ということが起こりえるわけです。
■協同組合という企業の形態
株主と従業員が一緒。というパタンです。
場合によっては株主と従業員と、顧客までも一緒ということがあります。こうすると「株主だけが儲かるように」というようなことは構造的に起こらなくなります。
保険会社のあり方も、元々は協同組合的なモノでした。
今は金融商品としての保険を販売し、利ザヤを稼ぎ、株主の利益のために保険業を営む、というような営利企業として保険会社もありますが、保険というものは、もともとは相互扶助、協同組合的発想で生まれたもののはずです。
昔から「社員に株を持ってもらう」という持ち株制度を持っている会社はありますが、これも協同組合的発想ですね。株主と従業員のコンフリクトをなくすという意味では非常に有効な方法だと思います。
これからは「従業員100人の会社で、従業員100人がそのまま株主100人である」というようなパタンの企業も増えていくかもしれません。