娘との時間
僕には、5歳になる娘がいます。
子育てをしていて、内発性の大事さを本当に実感します。
「能力を伸ばしてあげたい」みたいな気持ちが、どうしてもついつい起こって。やらせてしまう。「やらせる」が起こると、だいたいダメ。
娘は、鉄棒の逆上がりはできますが、それは娘がやりたい!できるようになりたい!というときだけ、サポートしました。これは、自然とできるようになった。
でも例えば「針時計の読み方を覚えさせよう」と思って、こっちがいくら教えても、全然覚えない。むしろ、その「時計の読み方について」の時間は、娘にとっては苦痛で逃げ出してしまう。
でも、折り紙は大好きで「どうやったら?キレイに折れるの?」と聞いてきたりする、そういうときはすごく真剣にアドバイスを聞いている。そしてぐんぐん吸収する。とても上手に折り紙をおる。
フラフープに関しては、本人が楽しんでいるうちに、僕には全然できないレベルに到達してしまった。ものすごく上手い。
上手にさせようとしたものは上達せず、特に気にも留めてなかったものはどんどん上手になる。
そんなもんだな、と思う。
針時計の読み方を覚えさせたくて、四苦八苦して「これはなーんじだ?」とかやってたけど、全然乗ってこない。
りささん※に聞いたら「ああ、試しちゃうんですよね」「試される、って楽しくないんですよね」って言われて、ああ、ホントにそうだなぁと思った。
※モンテッソーリやドーマンを深く学ばれた幼児教育の専門家。
でも、どうしてもたまらずに娘に聞いてみた。
「ねぇねぇ。折り紙とかは、お父さん折ってみて?って聞いてきたりするじゃない?でもどうして、時計の読み方についてはお父さんの話を聞いてくれないの?」と。
そしたら5歳なりにちゃんと答えてくれて。
「折り紙は、上手になりたいって思ってるもん。
時計は、上手になりたいって思ってないの。だからやなの。」
もう一つ聞いてみた。
「でも、幼稚園の先生から教わったことはちゃんと聞いているじゃない?
どうしてお父さんが教えるのは嫌なの?」
「幼稚園の先生はいいの。
でも、パパには優しくして欲しいの。だからやなの。」
ああ、そうなんだなぁ。。。
5歳ながらに、ここまで言語化して伝えてくれた娘を尊敬します。
そして、やっぱり、見守って、
本人が「上手になりたい!」って思っていることに気づいて、
そういうタイミングの時にサポートすることに徹しようと思いました。
絵が上手になりたい、虫の名前を覚えたい、足し算ができるようになりたい、そういうタイミングを見逃さないこと。
そして「遊んでいる」というときが、一番伸びるということ。
娘は工作が大好きですが、箱を組み合わせたり、何かを作るということは、どんどん上手になっている。ガムテープの貼り方一つとっても。空間とか大きさの概念とかも、どんどん学んでいる。
僕は、人材開発とか組織開発とかの仕事をしているわけですが、いかにみなさんに「遊んでいる」「夢中になっている」という感覚を提供できるか。それが、自分の仕事にとってもとても重要なんだろうと、改めて思ったりもしました。
しかしまぁ、あれだけ日々「内発的動機が大切」とか言っているくせに、身近なところではついつい「外から与えよう」としてしまうんですね、ホントに、なかなか難しいです。