【石川達紘】逮捕されない=不平等ではない
石川達紘の事件は何故 ”おかしい” のか。今日はその核心を記事にしてみたいと思います。
先日の記事では石川達紘の事件が偏重,隠蔽されているのではないか,ということを書きました。
今日の記事はそれとは真逆の話のような表題ですが,決してそうではありません。
石川達紘が逮捕されなかったことは”法の下の不平等”ではありませんが,それでもこの事件は ”おかしい” ,ということをお伝えしたいのです。
刑事事件における逮捕については,世間のイメージと司法の取扱いにずいぶんギャップがあるように感じられますが,”悪いことをしたら,逮捕される”というイメージは正しいようでいて,間違っています。
それは何故か。
分かりやすく言えば,それは,悪いことをした,というだけでは逮捕できないからです。法律でそのように明記されています。
逮捕されてしまうのは,悪いことをして,なおかつ,その悪いことをしたことについて証拠隠滅をしようとしたり,逃げるおそれがあるからです。
やや本題から反れますが,弁護士の目からみて,この人は逃げないでしょ,証拠隠滅するわけないでしょ,と思う人でも簡単に逮捕されてしまうからこそ,逆に上級国民と呼ばれる人が逮捕されないことが不平等に映っているのではと思います。本題からはそれるのでそれはさておき。
石川達紘が起こした殺人事故について言えば,事故を起こしたことは明らかですし,石川達紘という人間の素性は明らかです。つまり,殺人事故の証拠隠滅をすることもできなければ,逃げようもないのです。
だから,石川達紘は逮捕するうえで必要な条件を満たさないので,逮捕されません。似たような事件ですが,池袋で暴走して殺人事故を起こした半ボケもだいたい同じです。
この人たちは最早足元もおぼつかないくらいであることも加味すれば,逃亡することは現実的ではないですし,証拠も隠滅のしようがないから,逮捕されないのです。
ですから,”逮捕されない”ということに関しては,決して”法の下の不平等”と言われるような対処はされていないと思います。
その意味で石川達紘の事件はおかしいのではない。ここは明言したいと思います。
しかし。
石川達紘は
悲惨な殺人事故を起こし
しかも
”天地天命に誓って,アクセルペダルは踏んでいない”
と清々しいまでに不合理な否認をしているのです。
この裁判が,どのような裁判であるのか。
このような人物がどう断罪されるのか。
報道する価値はないんでしょうか。
世間の耳目を集めて然るべき事件ではないのでしょうか。
社会的に厳しく批判され,過酷な社会的制裁がなされるべきではないのでしょうか。
石川達紘とgoogle検索をすると,あろうことか先日の記事が8件目にヒットします。こんな名もなき記事が8件目です。
この取り扱いこそ,不平等そのものではないでしょうか。
私個人の感情ですが,こんな世俗にまみれた半ボケが殺人事故をおこし,自分と同じ肩書であることに虫唾が走ります。弁護士という職業がこんな奴のせいで貶められるかもしれないと思うと,本当に悲しい。
1日も早く,相応の規模で報道がなされることを祈ります。