“お酒”は飲めないと楽しめないのか?キングオブ下戸の視点から考えてみた。
こんにちは。
華金は必ずノンアルコールビールで晩酌をしているあけぼのばしだよ。
前回の記事から3年くらい空いちゃったような気がするのでとりあえず感情のままに書きなぐった文章を貼り付け「これを更新と言い張る」をしたいと思うよ。
ちなみに引っ張り出した記憶と、本当と嘘が適度に混じっているから、ファクトチェックはしないでほしい。
下戸で悪いか
私はかつて広告代理店に勤めるライターだった。ライティング内容がどう考えてもグルメ特化型なので、もはやグルメライターと言ってしまってもいいかもしれない。
飽きることなくグルメにまつわる文章を書いていながら、食べ物の好き嫌いが多い上に下戸であることをここで告白しておく。ろくに酒を飲んだことのないやつが「仕事終わりの1杯が旨い」だの「唐揚げを食べたらハイボールで流し込む」だの何をほざいているのか。逆に、お酒が飲めなくても寿司が食えなくても、グルメライターを生業にできるんだぞ、と胸を張っていれば良いのかもしれない。ポジティブポジティブ。
お酒?何それ美味しいの?
さて、本題に入ろう。さっきも書いたが、私はアルコールが非常に苦手である。それは遺伝的なものでもあるし、味覚の問題でもある。まるでジュースのようなほろよいで顔が真っ赤になり、ビールを缶半分飲めば意識が朦朧とする。それにアルコール独特の揮発性の匂いや発酵臭、苦みといったものも苦手である。これ以上ないほどはっきりと言ってしまえば、苦手というか嫌いである。少なくともライターを始める前まではそうだった。しかし、ライティングの度にアルコールと向き合い、アルコールの旨さとは何ぞやと考えているうちにお酒への苦手意識は消えてしまった。なんなら美味しそうとまで思うように進化した。
依然として飲めないことに変わりはないのだが、素晴らしい人格者も吐き気を催す邪悪な人間も等しく魅了してしまう“お酒”というものの魔力を知ってしまったのだった。
そんなわけで、自他ともに認める下戸の視点から見た“お酒”のことと飲めないからって引け目に思うことはないよ、という話を書いていきたいと思う。
「酔う」とは?
下戸は、たくさん飲まないので「酔う」感覚があまりわからない。「酔い」とは何が楽しいのか。
「酔い」という反応は、一言で言えば「なんだか気分が良くなる」作用である。もちろん、正確には私のように【意識朦朧とする拒絶タイプ】【拒否反応が現れるアルコールアレルギータイプ】【まあまあ飲めるけど飲みすぎると体内がドエラいことになる正常型ヘテロタイプ】【完全ザルな正常型ホモタイプ】など人によって変わり、気分が良くなるどころか最悪になる人もいる。
その後の情動反応として、酔う前とは異なる性格や態度が現れることがある。
例えば、【泣き上戸】【笑い上戸】などのかわいいものから、【●●自慢】【●●魔】【アルハラ(強要)】【アルハラ(暴力)】など、他人を不快にさせたり、迷惑をかけたりするものまで多岐にわたる。
「酔う」ことで、抑えていた感情の発露や調子が上がる人も多く、それを目的にして積極的にお酒を飲むということらしい。
悪魔の仕業!?
お酒を飲むと記憶が消える!
また、世の中には嫌なことがたくさんあるし、起きる。そのため、お酒の力を借りて「気分良く」なりたい大人は非常に多いのだ。
そしてそんな大人の中には、嫌なことを忘れたいと願う人も存在している。
そこで効力を発揮するのが「酔い」の副作用とされるオブリビエイト(記憶消しの呪文が由来の造語※『ハリー・ポッター』を観よう!小説も面白いよ!)現象である。
一般的には、個々人の体内におけるアルコール分解可能容量のキャパを超え、二日酔いが確定した頃合いになるとオブリビエイト現象が起きると言われている。
嗚呼、身震いするほどに恐ろしい。
起きると「あれ、なんでこんなところにいるの?」「ここどこ?」「昨日の●時までの記憶はあるんだけど…」と、断片的あるいはほとんどすべて失っているのだという。
アルコールもといエタノールは悪魔である。人々の脳から記憶を奪ってほくそ笑んでいる悪魔がアルコールの成分内に宿っているのだ。そうとしか思えない。水素原子と炭素原子と酸素原子だけでできているとはにわかに信じがたい。
私の体内は秒速でお酒を拒絶するので、幸か不幸か記憶を奪う恐ろしい悪魔と鉢合わせたことはない。
人によっては記憶だけじゃなく人としての尊厳すら奪われたり、下手したら法を犯したりする可能性だって存分にあるので、そういった点を鑑みてもアルコールは非常に悪魔的である。
「酔い」は最高の快楽!
ここまで感情の赴くままに「酔い」について書いていたら、なんだかマイナス面ばかりになってしまったが、これらのマイナス面を差し引いても「酔う」ことは快楽なんだそうだ。
その快楽をしっかりと表現しきっているとの評判から、筆者が参考文献としたのはオマル・ハイヤームが残した『ルバイヤート』である。シンプルに面白く、詩としても素晴らしく、とにかく「酒・酒・酒!」といった数々の詩を収録している本である。
岩波書店の公式サイトに掲載されている本作品の説明文はこうだ。
全然お酒のことに触れてなかった!(笑)
ペルシアとは今のイランのことで、11世紀というと、日本は平安時代?鎌倉時代?そんくらい!蹴鞠なんぞで遊びあそばせおじゃっていた時(決してディスっているわけではない)、イランの天才詩人は酒に溺れながら素晴らしい四行詩を生み出していたのだ。
この詩からわかるのは、お酒がいかに美味しく幸せをもたらし、そして人々を狂わせていたのか。
そして、お酒が彩り、お酒が映し出す人の一生とは――。
オマル・ハイヤームさんは、バッカス(お酒の神)とマブダチなのではなかろうか。
たった四行の詩の中にお酒の素晴らしさが描かれているではないか!
お酒というものは、とりあえず飲んでおけば万事OKな摩訶不思議な飲料なのだと教えてくれる。
無論、お酒のことだけではなく、人生や恋愛や処世についての名言祭りなのが『ルバイヤート』が今日まで愛読され続けている所以である。
普段詩を読まない方、お酒好きな方や私のようにお酒のおいしさがわからない方にも、もはや全人類におすすめである。
しかも、岩波文庫で500円程度で購入できる。安すぎる。
簡単にまとめると、お酒を飲んで酔うことは最高にハイってやつなんだ。
飲食物に対する人類の貪欲さほど
凄まじいものはない
さて“お酒”と大まかにくくってきたが、30秒で解剖していきたい。
一口にお酒と言っても膨大な種類があるのは誰もが知っていることと思う。
ビール・ワイン・日本酒・焼酎・ウイスキー・ブランデー・リキュール・ウォッカ・ジン・テキーラ・マッコリ・紹興酒…大分類から小分類までどんどん枝分かれしていき、カクテル名まで勘定しちゃったらとんでもない数になる。
お米や麦や葡萄などの素材(もちろん普段食べているものとは別に、酒造りに最も適したものがわざわざ栽培されている!)から、麹、蒸留の方法、樽(ウイスキーとワインだけではない!)、寝かせる期間など、製造方法を知れば知るほど迷宮入りするほどに奥深い。
下戸からしたら原料を菌で発酵させた汁なんだが(言い方が酷い)、こうも種類豊富だとため息が出る。ただただ感嘆するばかりだ。
酒造りに命をかける醸造家や杜氏たちが、試行錯誤を繰り返し、美味しくなるように日々技を極めているのだ。お酒の種類の膨大さからも、人類のお酒への熱意が見て取れる。
例えば「スケート選手の体幹やっべえな~」とか「漫画家の中指にできたペンだこ見るのが好き」とか「寿司を握る時の手の動きが素早すぎて理解不能」とか、そういう何かを極めし人物たちが極めた“証”を見つけると「うおおお」とテンションが上がるオタク気質な方なら、凄まじさが頭ではなく心で理解できると思う。天才たちは常人では考えられないほどのエネルギーや命を「これだ!」というものに注いでいるのである。
このように、職人たちが注ぐとめどない情熱を知ると、お酒が飲めるとか飲めないとかそういう次元の話はハッキリ言って些末なことだと思い始める。ボンボンショコラで皮膚が赤くなるような下戸オブ下戸にもお酒の素晴らしさや美味しさがしっかりと伝わってくる。
余談だが、コンニャクも原料のコンニャク芋には毒があるからそのままでは食べられない。しかし、試行錯誤の末(知らんけど、おそらく初めて食べた人は苦しんだと思う)食べられるようになったと言われている。
さらに余談の二段重ねになるが、小学生の時「ポンペイ展」に行って世界最古の(当時はそんなことを言っていたような気がする)パンを食べたことがある。めちゃくちゃ硬いし、味気ないし、やたらと不味かった記憶がある。我々が普段食べているような、ふわふわふにふにのやわらかさと小麦やバターやほのかな甘さを兼ね備えたパンになるまで、一体どれだけの年月がかかったのだろうか。気が遠くなる。
生きることに直結する「食欲」は人類のエネルギーであり原動力なのだ。
さあ、推しを見つけよう!
酒造りの凄まじさ以外に面白いのは、ずばりラベルである。
日本酒と聞くと筆で書かれた大吟醸の文字……などと思いがちだが(それもクラシックで良い)、近年の日本酒のラベルはPARCOの広告くらいオシャレになっている。
私が好きなのは、新政酒造【新政】の“プライベートラボ”シリーズ。かわいい。代表的な“No.6”はパッと見ワインのような洋風な見た目で、これもオシャレだ。
酔鯨酒造【酔鯨】シリーズに描かれている鯨も美しくて見とれてしまう。
焼酎のラベルもたまらない。
黒木本店の“百年の孤独”なんて、見た目も名前もオシャレすぎる。“百年の孤独 百年ボトル”はぶっ倒れるほどに洗練されている(残念ながら完売!)。
それから、宮崎本店の“亀甲宮焼酎”通称キンミヤもかわいい。淡いブルーとゴールドの「宮」ロゴ。色の愛らしさとクラシックなロゴの対比も綺麗。調べてみたら女性からの人気も高いらしくて頷ける。
推しの“お酒”を見つければ、飲めなくてもテンションが上がる。
ただ眺めているだけでも楽しいが、売上に貢献するならお酒好きな友人や恋人や上司へのプレゼントにするのも良い。
美しすぎる酒器にうっとり…
忘れてはならないアイテムが酒器である。
私は飲めないくせにお猪口を2つも持っている。
目玉おやじの陶器のものと、日本工芸の展示で購入した福島の漆器だ。
他にもあと1種類買おうと思っているのだが、それが錫の酒器である。
錫は、金属の特殊効果で飲み物の味が変わるという。どういう理屈なのかはわからないが、アラジンのようなものだろう(適当)。
日本酒用の酒器は錫で作られたものが数多くあり、職人技も感じられ、お酒の味もまろやかになるなんて非常に味わい深い。
他にも、タンブラーやグラスもデザインが多彩で面白い。通は、デザイン的な意味でも飲むお酒によっても、形や素材の違った酒器でお酒を嗜むのだ。
こちらも、引き出物や誕生日といった際のプレゼントに選ぶのも楽しい。
ちょっと高級なぶどうジュースやノンアルコールビールを飲む時に、酒器を使って飲んでみるとなかなか気分が良いのでおすすめだ。
お酒は飲め(ま)ない人でも
充分に楽しめる!
結論。
“お酒”には悪魔的な魅力があり、それは飲める人を飲み込むほどの、飲めない人をワクワクさせるほどの強大なパワーがあるということ。
そして、“お酒”は飲めなくてもめちゃくちゃ楽しめるとわかっていただけたかと思う。
もし、飲み会に参加したいけどお酒が飲めないせいで参加しづらいと思っている人がいたら安心してほしい。
お酒の楽しみ方は何も酔うことだけではないのだ。
素材、醸造家・杜氏、ラベルなど360℃全方向から楽しめる。
もし、宴席でお酒が飲めないと伝えた時に嫌な顔をする人やイヤミを言ってくる人がいたら、倍の知識や倍のお酒への愛で応戦してほしい。
「このラベルめっちゃかわいくないですか?この日本酒の名前って、4つの酒造の頭文字を取って【山川光男】なんですよ!しかも、ラインスタンプも出てて、私使ってるんです!」
「日本酒の神様って呼ばれている農口尚彦さんって、私と同じで日本酒1滴も飲めないらしいですよ!それで利き酒師の舌をも唸らせる日本酒を作ってらっしゃるのってマジで神がかってますよね!最強じゃないですか?」
「ワインの味を表現する言葉ってやばくないですか?「濡れた犬」って表現が有名ですけど、そんなワイン本当に美味いのかよって思いません?え、知らない?どの銘柄飲んでるんですか?うわ、これはなめし革のような香りのワインですね!」
「先輩、カクテル言葉ってご存知です?例えば“ワインクーラー”なら“私を射止めて”って意味があるそうですよ。すっごくロマンチックですよね~。あ、“シャーリーテンプル”を1つ」
こんな具合にね。
お酒が飲めなくてもお酒にまつわる話題はいくらでもあるし、お酒を飲まないからノリが悪いなんて理屈はおかしいのである。ただの偏見か、もしくは宴会に行きたくない人が断り文句として「お酒が飲めないので不参加でお願いします」などと言ってきたことが原因である(知らんけど)。
※飲めないと言っているのに、というよりも逆に本当に飲めないのか確かめたいなどとほざいて「飲ませたい」というだけの人は変態なので良い子は関わらないように!
最後に、私が尊敬するハライチの岩井勇気さんの言葉を引用させてもらい、締めとしよう。
お酒を飲んで語り合うのも良いけども、熱い話や本音は素面の時にこそじっくり語り明かそうぜ!
※この記事は2021年から下書きで寝かされ、2023年9月13日にやっと本公開されました。