アメリカン・アニマルズ 映画館で観れば良かった
こんにちは。
ライターのあけぼのばしです。
前回はホラー『ヘレディタリー』の感想でしたが、今回は『アメリカン・アニマルズ』の感想をぼちぼち書いていきたいと思います。
ジョン・ジェームズ・オーデュボンが描いた「アメリカの鳥類(The Birds of America)」は、縦幅は約90センチ横幅は約60センチもある本です。緻密なタッチで描かれた鳥はなんと原寸大という贅沢さ。生で見たい本ナンバーワン!この映画を観て、より実際に見てみたくなりました。鳥の絵を大画面で観られたチャンスなのに、映画館に足を運ばなかったことを今後悔しているほどです。
さて、フラミンゴのページがとても印象的なこの本は非常に希少で高価なので、主人公たちは本を強盗する計画を立て……。というストーリー。
しかも実話。
端的に言うと最近観た映画の中で一番面白かったと思います。(大して観てないんですが)
何が良かったって、オチです。落としどころが完璧だと思いました。鳥肌が立ちました。鳥だけに。
いや、つまらないダジャレ~と思った人もいるでしょうが、これがちょっとダジャレじゃないんですよね。
というわけで、まずはストーリーの詳細を。
ここからはかなりのネタバレになるので、ご鑑賞後に読むことをおすすめします。
芸術家を志す青年スペンサー。大学にもろくに通わず、街で盗みを働いたりしているウォーレン。この2人が本を盗む計画を立てます。
スペンサーは、日常に刺激が欲しいと思っているけど何かやらかすほどの勇気はない青年で、ウォーレンとは正反対。ウォーレンはいわゆる“悪ガキ”なので、強盗計画を本気で実行しようとします。
FBIを目指していたエリックと逃走用の車を用意できるチャズを仲間に引き入れ、さらに計画を練ります。
絵画を品定めしがちな(イメージ)老紳士に変装するのですが、スペンサーは美術に長けているので変装もなかなかのクオリティ。立派な口髭を貯えて決行するも、普段は1人しかいないはずの司書がなんと4人もいて断念。私ならここで諦めますが、彼らは翌日変装無しで挑みます。
しかし、持ってきたスタンガンでは司書の女性はちっとも気絶せず、怖がらせ、傷つけることになってしまう上、肝心のオーデュボンの本は階段を降りる際に落とし、置いて逃げることになります。
その後、鞄の中に忍ばせていたダーウィンの本を売ろうとしますが……、当然4人はあっという間に逮捕されるのです。
ストーリーは事実に基づいているので、あらすじだと“こんなもの”だと思うかもしれませんが、とにかく構成と演出が素晴らしい。もし万が一観ていない方がいるなら観ていただきたい。非常におすすめです。
とまあ、「つまらない日常に刺激が欲しい」「何かを変えたい」「特別な人間になりたい」と願ったものの、凡人であることを突きつけられた若者たちの物語でしたね。しかし、物語が終わろうが続くのが現実。
この事件を起こしたことで、彼らは良くも悪くも変わってしまうのです……。
この映画の面白みとして真っ先に挙げられるのは、本人たちのインタビューをミックスした点でしょう。
ただ前代未聞の強盗事件を映画にしただけではなく、本人たちが物語の合間合間に当時のことを語ります。ドキュメンタリーとストーリーを交互に楽しめる作りです。
たまに、古い友人と会った時に当時の話をしていて、同じことを思い出しているのに違って記憶していたり、その時の感情がまるで異なっていることってありませんか?
この部分を映像化したのが、さらにこの映画を面白くしています。
闇取引をする業者と会うシーンでは、スペンサーとウォーレンでは業者の風貌がまるで違います。ちゃんと覚えていないんです。とてもリアルでしょう?
事実なのに、いや事実だからこそ、細かい部分がひどく曖昧なのです。
また、当時の先生やスペンサーの家族、司書まで登場します。
彼らがどう見られていたのか、どう思われていたのか。4人はお互いをどう捉えていたのか、何を思っていたのか。
物語とインタビューが流れるだけでも面白く、構成、演出、脚本…ひとつひとつのクオリティの高さが伺えます。
さて、1200万ドルもの本を盗もうとして実刑7年の判決を受けた彼らは、今何をしているのでしょうか?
車の調達と運転をしていただけのチャズは、予想を裏切らず、ジムのインストラクターに。
ウォーレンとの友情のために力を貸した頭脳派のエリックは司法の道ではなく、まさかのライターに。
ウォーレンはというと、大学に入学し直し、今は映画制作に関わっているようです。
そして。
スペンサーです。
スペンサーは絵描きになっていました。
鳥の絵を描く、絵描きに。
私が心底ゾクッとしたのはここです。
映画はここで終わり、どんな鳥の絵を描いているのかはちらっとしか映りません。
私はInstagramでスペンサーの名前を検索しました……。
皆さんはもうお気づきだと思いますが、スペンサーの描く絵は、オーデュボンのタッチとよく似ているのです……。
ね?鳥肌が立ったでしょう?
この物語がなぜ映画化されるに至ったのかわかりますよね。なぜインタビューも交えた構成にしたのかも。
スペンサーがあの日、本を盗まなかったら?
彼は鳥の絵を描いていたでしょうか?
そして、彼に鳥の絵を描かせているのは、芸術家として彼自身の湧き上がるクリエイティビティによるものなのでしょうか?それともオーデュボンに取り憑かれてしまったのでしょうか?はたまた、事件を起こしてしまったことへの贖罪やトラウマを克服するためのリハビリテーションなのでしょうか?
私には、なんだかスペンサーがオーデュボンを“ヘレディタリー”してしまったような気がして、とてもゾワゾワしてしまうのです。
自分の選択や起こした出来事や想いが、自分の人生を動かし、変えていきます。
時には、自分の行動が(些細なことでも)他人の気持ちや選択を変えてしまうこともあります。
過去の出来事に対して「もしも」こうだったら、こうしてれば……なんて考えても意味なんてないかもしれません。
でも私はこの映画を見て、どうしても「もしも」を考えてしまうのです。
「もしも本を盗まなかったら?」
「もしも成功していたら?」
「もしもウォーレンとエリックが喧嘩してなかったら?」
「もしも司書の女性を殺してしまっていたら?」
「もしも……」
私は、時折スペンサー描く鳥の絵を不思議な気持ちで観ます。
とりあえずホッとしているのは、司書の女性が亡くならなかったことです。わりと乱暴に拘束され怒鳴られたりしたので、トラウマにはなってしまったかもしれませんが。
4人のことを思うとなんだか奇妙に親近感が湧いてしまいます。
今は家族を持って、穏やかに暮らせているようで本当に良かった。
気兼ねなく映画も楽しめたし、Instagramもフォローできたし(笑)
なぜ、前回の映画レビューが『ヘレディタリー』だったのかおわかりいただけたことかと思います。
(※ホラーが苦手な方は“ヘレディタリー”の意味だけ調べてみてください!)
以上にて伏線回収も終わったので、次回はまったく関係ない話題になるかと思います。
それではまた。