【試し読み】精読・涼宮ハルヒの退屈
□まえがき
初めましての方は初めまして、そうでない方はこんにちは。小説「涼宮ハルヒ」シリーズのファンサイト・涼宮ハルヒの覚書の管理人兼アニメライターのいしじまえいわと申します。この度は『精読・涼宮ハルヒの退屈~非公式考察読本シリーズvol.4~』を手に取ってくださり、誠にありがとうございます。
本書は小説「涼宮ハルヒ」シリーズの第三巻『涼宮ハルヒの退屈』(以下『退屈』、他シリーズ作品も同様に表記します)に収録の各短編の考察を試みた本です。『退屈』をご覧の方向けの内容になっていますので、未読の方はぜひ『退屈』および同シリーズを先にお読みくださいませ。きっと楽しいと思います。
また、本書の内容は割と他の巻の考察と関係がありますので、もしよろしければ『精読・憂鬱』等、弊サークル刊行の他の巻もぜひご覧ください。
ちなみに本書は考察本シリーズの第四巻なのですが、『退屈』は原作シリーズの第三巻です。そして前回刊行した『精読・消失』の考察対象『消失』の方が原作では第四巻となっています。何故こんなややこしいことになってしまったのかといいますと、当初はシリーズ全体の物語を理解するためには長編の考察だけで十分だろうと思っており、短編集の考察本は出さない方針だったからです。ですが実際に長編を考察するにつれて短編の各エピソードがシリーズ全体に与えている影響は無視できないと実感するようになりました。そのため今回改めて本書を出すことになったのです。その結果、原作の刊行順と異なる順番で本書を出すことになってしまいました。ややこしいことこの上なく読者のみなさまには少し申し訳なくもあるのですが、原作でも時系列が前後したりしていますし、これも「ハルヒ」らしさだなと思ってご容赦いただけましたら幸いです。
それではまえがきの最後に謝辞を述べさせていただきます。ネットなどで私のハルヒ考察に付き合ってくださるフォロワーのみなさん、表紙絵や装丁など本書の文章以外の部分(つまりほぼ全部)を作ってくれた妻たなぬ、そして何より「涼宮ハルヒ」シリーズの物語を生み出し続けてくださる谷川流先生といとうのいぢ先生に、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます!
それでは早速、以下、レッツゴー!
イントロダクション
□シリーズ初の短編集『退屈』
この章では『退屈』の物語に触れる前に、本作が発表された経緯や作品としての特徴について軽く触れます。また、これらの物語を考察する上での方針とレギュレーションについても本章末尾にて取り扱います。
まず『退屈』という作品について。本作は『憂鬱』『溜息』に続く「涼宮ハルヒ」シリーズの第三巻として二〇〇四年一月一日に発行されました。『憂鬱』が二〇〇三年六月十日、『溜息』が同年十月一日発行ですから、この頃はだいたい三カ月に一冊くらいのペースで新刊が出ていたことになります。
内容は『涼宮ハルヒの退屈』(注1)、『笹の葉ラプソディ』(注2)、『ミステリックサイン』(注3)、『孤島症候群』(注4)という四つの短編と、それらを補足するプロローグとあとがきによって構成されています。第一巻『憂鬱』が四月と五月、第二巻『溜息』が十月と十一月時点での物語なのに対し、第三巻『退屈』では時を遡る形で六月と七月に起きた出来事を描いています。『消失』が十二月の物語であることを考えると、初期四巻はそれぞれ春夏秋冬、改め、春秋夏冬にあてはめられることになります(注5)。
□実は『退屈』は三つある?
本シリーズには本作の他に第五巻『暴走』、第六巻『動揺』、第八巻『憤慨』、第十二巻『直観』と四つの短編集がありますが、収録されている短編のタイトルがそのまま書名に使われているのはこの『退屈』だけです。それ以外の巻の書名は収録作とは別の名称がつけられているため、『涼宮ハルヒの暴走』という本はあっても同名のエピソードは存在しません。
また、本シリーズの短編は、文庫書き下ろし作品を除けば基本的に雑誌「ザ・スニーカー」に雑誌連載という形で掲載されていたのですが(注6)、実はその掲載時のシリーズタイトルもまた「涼宮ハルヒの退屈」でした(注7)。『笹の葉』であれば雑誌掲載時のタイトルは『涼宮ハルヒの退屈 笹の葉ラプソディ』となっており(注8)、「ザ・スニーカー」の表紙や目次にも多くの場合『涼宮ハルヒの退屈』という作品名でクレジットされています(注9)。
同じライトノベルというジャンルにおいて「涼宮ハルヒ」シリーズの先達にあたる『スレイヤーズ』シリーズ(富士見ファンタジア文庫より刊行)では本編を『スレイヤーズ』、雑誌掲載+書き下ろしの短編集を『スレイヤーズすぺしゃる』(および『同 すまっしゅ。』)と分けて刊行していましたが、「涼宮ハルヒ」シリーズでもごく初期には何らかの形でシリーズを複数に分ける構想があったのかもしれません。
以上のように『涼宮ハルヒの退屈』には「短編としての『退屈』」「書籍としての『退屈』」「雑誌掲載時のシリーズタイトルとしての『退屈』」と、少なくとも三つが存在します。こういったシリーズ初期ならではの混乱というか、方針が少々未整備なところが垣間見えるのも『退屈』関連の特徴の一つです。
□『溜息』補完計画は成功したか?
方針が未整備だったという観点では、上述のタイトルに関することのような作品外要素だけでなく作品内にも指摘できる点があります。『精読・溜息』でもご紹介しましたが、作者の谷川先生は「ザ・スニーカー」二〇〇四年一二月号の記事「谷川流の挑戦 スペシャルインタビュー」にて、下記のような受け答えをされています。
――ハルヒは今まで5巻まで出てるんですが、これまでの中でもっとやりたかったこととかありますでしょうか。今回の短編(注10)は文化祭のことなんですが、そういうふうにあの時期のことを書いておきたいなあ、とか。
そうですね。憂鬱と溜息の間がそうでしたね。いきなり半年ぐらい飛んじゃってますから。そのへんは、ちょっともったいないことをしちゃった気がする。個々のエピソードではなくて、キャラクターの心理的なもので、半年経ってるわりにはコイツらは、ってのがありましたから。
(中略)
――(中略)で、その間を書く余地はありますか?
おかげで溜息以前はもうないですね。これ以上やったらどんどん破綻していきそうなので、やんないほうがいいかな。(注11)
この谷川先生のコメントはどう解釈すべきか難しいのですが、要するに
・第一巻『憂鬱』とその半年後を描いた第二巻『溜息』との間でキャラクターの心理的な面で不整合なところがあった。
・そのため短編でその部分(『溜息』以前、夏頃のエピソード)を補完した。
・それ以上やろうとすると破綻しそうなので、もう補完する余地はない。
・つまり質問「やりたかったことはあるか?」への答えは「あったが短編でもうやった」である。
ということかと思われます。となるとこの文脈において不整合だったのはどちらかというと『憂鬱』に対する『溜息』の内容であり、時系列上『憂鬱』と『溜息』の間に位置する『退屈』収録の短編群(および『暴走』収録の『エンドレスエイト』)はそれを補完する存在だったということになります。谷川先生は同インタビューにて『溜息』について「やや調整不足のまま書いちゃったかなと。」(注12)とも述べているので、『溜息』と『退屈』の関係は上述の通りだと考えて問題ないと思われます。
ところで、第二巻『溜息』終盤では、ハルヒとキョンをめぐる三つの勢力の末端である長門、みくるちゃん、古泉くんの三名が互いに牽制しあうような関係として描写されています。古泉くん発案の「対ハルヒ対策の緊急合同対策本部」(注13)で長門は「我々は困らない。」(注14)と協力を拒絶し、みくるちゃんは個人的な意向は異なるとしつつも「古泉くんのことを、そのぅ……あんまり信用しないで……」(注15)とキョンに懇願し、古泉くんもまた「彼女の役目はあなたを篭絡することです。」(注16)とキョンがみくるちゃんを疑うよう仕向けるかのようなことを言っています。
また、ハルヒがみくるちゃんを汚い池に突き落したり酒を飲ませた上で古泉くんとのキスを強要したり、それが原因でキョンと対立してしまうことも相まって、初読の人だけでなくシリーズ全体を読み終えた上で改めて『溜息』を読んだ人も(むしろそちらの方がより)「あれ、SOS団ってこんなに険悪だっけ?」と思うのではないでしょうか(注17)。正直なところ、私は割とそのように感じていました。
上述の谷川先生のコメントを考慮すれば、こういった『溜息』内の違和感こそが谷川先生が指摘した「半年経ってるわりにはコイツらは」であり、それを補うのが『退屈』収録の短編集の役割であるはずです。
ところが実感としては逆で、夏の野球大会や巨大カマドウマ退治や孤島の別荘でのサプライズイベントなどでSOS団が結構仲良くやっていたために、『溜息』での険悪なムードや、今更になって仲たがいを始めるキャラクターたちの心理に対する違和感がむしろ増してしまっているように感じられるのです。
一方で、上述の通り谷川先生が補完の意図も込めて各エピソードを書いたことは間違いなさそうでもあります。
そこで本書では『退屈』の各エピソードを、個々の物語としてというよりはむしろ「『憂鬱』と『溜息』の間をどう補完しているのか?」という観点で改めて読解します。それによって、各エピソードを個々に読んでいた時には気付かなかった描写が浮かび上がり、SOS団の春から秋にかけての物語の流れがより自然なものに読めるようになるはずです。
□『退屈』考察ポイント二点
『退屈』の各エピソードが『溜息』に至る流れを補完しているかどうかを考える上で着眼したいポイントは、一つは「長門、みくるちゃん、古泉の三人がSOS団と自分たちの組織に対してそれぞれどのような態度を示しているか」です。
私が『溜息』で感じた違和感の原因の一つは「夏頃はSOS団としてあんなに仲がよかったのに、文化祭の頃に急に各々の組織の理論を主張して対立し始めた。これまでの仲のいい感じはどうしたの?」という印象でした。そこで、三人が『退屈』の各エピソードで『溜息』終盤のように自分が属する組織の理論をSOS団の団結より優先するような態度を示していたか? という点にスポットを当てて読解をします。もし「なんとなく夏は仲良かった印象だったけど、よく読んだらそんなでもなかったわ」「むしろ夏の頃から三人ともSOS団より自分の組織優先ってニュアンスがあったわ」ということでしたら、少なくとも理屈の上では『退屈』は『溜息』への布石としての機能を有していたということになります。
もう一つ注目すべきポイントは「各キャラクターの心理面での変化」です。谷川先生は「キャラクターの心理的なもの」という観点で『溜息』を補完する必要性を述べていますから、『退屈』の各エピソードにおいて各キャラクターの心理の面で『溜息』にうまくつながるような描写が盛り込まれている筈です。また「これ以上やったらどんどん破綻していきそう」というコメントからも、破綻しない程度の適切な心理的変化がそこに描かれていると考えられます。
仮にこうしたメタ的な観点を持ち込まなかったとしても、『消失』冒頭で古泉くんが「変化と言えば、涼宮さんだけでなく僕たちだって変化しています。あなたも僕も、朝比奈さんもね。たぶん長門さんも。」(注18)と述べ、キョンも長門について「インチキ草野球に三年越しの七夕、カマドウマ退治に孤島の殺人劇やループする夏休み……。あれやこれやをわたわたとやっているうちに長門のちょっとした態度や仕草が、すべての始まりを告げた文芸部室での邂逅から微細に変化しているのは確かだ。錯覚ではない。」(注19)と証言しています。キョンが示したエピソードは『退屈』収録の各エピソード+『エンドレスエイト』のことですから、言い換えればキョンは長門が『憂鬱』で出会った当初から『退屈』を経て心理面で変化した、と言っていると読み取れます。実際に長門が変化していたかどうかは慎重に判断するとしても、少なくともキョンの認識がそのように変化した、つまりキョンが心理面で変わったのは事実です(注20)。
このように、シリーズを俯瞰した時、長編エピソードの最中だけでなく一連の短編の中でもキョンたちは変化、成長していることが文中で明示されています。本書ではその点にも注意を払って読解をします。
「長門、みくるちゃん、古泉の三人がSOS団と自分たちの組織に対してどのようにウエイトを置いているか」「各キャラクターはどのように変化しているか」という二つの論点はそれぞれ独立したものではなく、前者は後者に内包される具体的要素の一つだと考えられます。ですが「キャラクターの変化を見る」だけでは若干ざっくりとし過ぎており、『溜息』と自然につながっているかどうかを考察する上で見落としが発生してしまう恐れがあります。そのため本書ではこの二点に留意して各エピソードを読解します。
なお、各エピソードの短編としての独立した面白さについては本書ではあまり深く触れず、感想に留めます。その点を深めだすと際限なく深められますし(実際『エンドレスエイト』だけを対象とした『エンドレスエイトの驚愕』という本も出ているくらいです)、それをやってしまうとシリーズ全体の物語の流れを理解するという主旨から離れてしまいます。また、短編の面白さを事細かに解説するのはちょっと野暮かなという気もするのです(注21)。
□本書での考察レギュレーション
(過去に投稿した『【試し読み】精読・涼宮ハルヒの溜息』と同様の内容であるため割愛します。内容についてはこちらをご覧ください。)
各エピソード考察
涼宮ハルヒの退屈
□シリーズ初公開だった『退屈』
ここからは『退屈』に収録されている各エピソードについて、①作品概要 ②物語に対する筆者(私)の所感 ③各主要登場人物の変化、成長およびSOS団/所属組織との関係について、という観点で述べていきます。
まず『退屈』の作品概要について。本作は「ザ・スニーカー」二〇〇三年六月号に初掲載されました。この号は『涼宮ハルヒの憂鬱』が第八回スニーカー大賞で大賞を受賞したことを告げた号であり選者のコメントや谷川先生への受賞インタビューなどが掲載されているのですが、「なお、次のページから受賞作の外伝「涼宮ハルヒの退屈」がはじまるぞ!!」(注29)とのアナウンスの後にいきなり『退屈』本編が掲載されています。雑誌の表紙や目次での作品クレジットもなんと『涼宮ハルヒの退屈』名義でした。
この件について谷川先生は『退屈』のあとがきにて以下のように述べています。
表題作にしてSOS団の連中が最も早く活字となったのがこれでありました。確か「涼宮ハルヒの憂鬱」が世に出る二ヵ月ほど前にザ・スニーカーに掲載されたんじゃなかったでしょうか。
いくら何でも本編が出る前に後日談を載せるのはいかがなものかと一人不安になっていたのですが、そのような些末な心配をしていたのはまさに僕一人であったらしく他の誰も疑問を持っていなかったようなので一安心です。(注30)
普通に考えて本編が世に出る前に後日談が雑誌掲載されるのはおかしいと私も思うのですが、スニーカー編集部はそんな奇行に走ってでも『憂鬱』の大賞受賞を大々的に取り扱い、谷川先生の才能を早く世に知らしめたかったのだと思われます。スニーカー大賞の選考委員を務め谷川先生を選出した一人である水野良先生は「「この作品を売らなかったら、おまえら全員、編集者を辞めろ」とまで僕は言いましたからね。担当編集も、編集部もプレッシャーは相当だったと思います。」(注31)と述べていますので、『退屈』が『憂鬱』より先に世に出たのは間接的には水野先生の影響であるようにも思われます。
ちなみに『退屈』の掲載号は六月号で『憂鬱』の文庫が出たのも六月なのですが、雑誌は「〇月号」という表記より早く出るのが通例で「ザ・スニーカー」は隔月刊行でしたから、谷川先生のコメント通り二〇〇三年六月号は同年の四月末頃には世に出ていたようです。
なお、『笹の葉』の項で詳しく述べますが、谷川先生は短編の雑誌掲載が連載だとは思っていなかったようです。それもあってか後述するように『退屈』は本編である『憂鬱』の顔見せ的な意図で書かれている節があります。実際には最後に思いっきり「〈次号につづく〉」(注32)と書かれているので、編集部は最初から谷川先生に連載をさせる気満々で本人だけがそれを知らなかったのではないか?という気配を感じます。
〈各エピソード考察『涼宮ハルヒの退屈』試し読みはここまで〉
笹の葉ラプソディ
□連載第二回にして看板作品に
『笹の葉』は「ザ・スニーカー」二〇〇三年八月号に初めて掲載されました。この号は同誌の十周年記念特集号なのですが、シリーズとしての『退屈』は連載わずか二回目にして十周年記念作品の一つに選ばれ巻頭特集を組まれています。前号に続いて編集部がどれだけ本作をプッシュしていたのかが分かります。
巻頭特集には見開きイラストが二枚あり、一つはレモンを持ったハルヒとみくるちゃんのツーショット、もう一つはパーティードレス姿のSOS団一行のイラストです(注67)。最初のピンナップに長門がいない点や、イラストに添えられた寸劇で古泉くんが「いやあ、みくるさんのバニー姿やメイド服もいいですが、花嫁衣装というのはまた格別ですね」(注68)と見慣れない呼び方をしているという編集部のミスなど(注69)、これもシリーズ初期ならではの雰囲気を醸し出しています。
谷川先生はあとがきにて、本作の仮題が「朝比奈みくるの困惑」だったことに加え「この時はまさか読み切り短編の掲載が続くとも思っておらず、雑誌掲載時の最後のページに「次号に続く」みたいなことが書いてあって仰天した覚えは鮮明に残っています。」(注70)と述べています。しかし実際には前述の通り掲載第一弾である『退屈』の時からその旨の記載があったので、これは単に谷川先生が前の号を最後まで読まれていなかったのだと思われます。プロデビュー直後でそれどころではなかったのかもしれませんし、自分のインタビューが載っているから恥ずかしくて隅々までご覧になられなかったのかもしれません。
□ヒロインだらけの重要回
『笹の葉』はその名の通り七月七日にまつわるお話で、つまり『退屈』から約一か月後を舞台としています。
先生があとがきで触れている通り未来人とのタイムトラベルをモチーフとした短編で、『消失』に直接関係する伏線にもなっている重要なエピソードです。また『憂鬱』で触れられていた校庭落書き事件やハルヒのキョンに対する既視感など、いくつかの伏線を回収するエピソードでもありますから、短編の中での重要度は随一と言っていいでしょう。谷川先生自身が一番好きなエピソードとして挙げているのもこの『笹の葉』です(「強いて言えば」という条件付きですが)(注71)。
物語としては、みくるちゃんと三年前の七夕に時間遡行し、みくるちゃん(大)や中学生ハルヒと出会い、長門の力を借りて元の時間に戻るというもので、まさにヒロイン尽くしの一話になっています。その分古泉くんの影が若干薄いのですが、その分締めの部分で存在感を発揮してバランスを取っています。仮題の通りみくるちゃんがヒロイン的なエピソードではあるのですが、古泉くんの扱いが少し薄いのを除けば割とバランスがいいお話という印象です。
〈各エピソード考察『笹の葉ラプソディ』試し読みはここまで〉
ミステリックサイン
□「がんばれ長門さん ミステリックサイン」
『ミステリックサイン』の初出は「ザ・スニーカー」二〇〇三年十月号で、連載三作品目にあたります。前号に引き続きこの号でも『ハルヒ』の巻頭特集が、しかもトップバッターで組まれているのですが、その特集名は「涼宮ハルヒの憂鬱」といういかにもややこしい名前になっており、雑誌表紙にも前二号と違い「特集『涼宮ハルヒの憂鬱』」と表記されています。一方で掲載小説のタイトルはこれまでと同じく『涼宮ハルヒの退屈 ミステリックサイン』で、目次にもそう記載されています。
特集は今回も見開き二頁二回となっており、最初の見開きではハルヒの俯瞰のアップのイラスト、次の見開きではハルヒとみくるちゃんがストローでシャボン玉を作っておりその中にキョン、長門、古泉くんが浮かんでいる、というものでした(注85)。
最初の見開きは文庫第一巻『憂鬱』の宣伝で、「小説『涼宮ハルヒの憂鬱』は、あっという間に日本中の書店から消えた。」(注86)と書かれています。よほどいい売れ行きだったのでしょう。また『憂鬱』の書影の横に「『涼宮ハルヒの憂鬱②』も10月1日発売だ!」(注87)と記されています。この頃はまだシリーズ名や刊行タイトルのルールが正式に決まっていなかったようです。
二つ目のピンナップも前号同様ハルヒとみくるちゃんにフィーチャーしたものとなっており、長門の扱いがキョンや古泉くんと同列なのは今見ると斬新に感じます。また、このイラストでみくるちゃんは『溜息』の朝比奈ミクルのものと異なるオレンジ色の半袖のウエイトレス然とした服を着てフリル付きのカチューシャを着けています。『笹の葉』で「この七月から朝比奈さんのメイド服はサマーバージョンに衣替えを果たしている。」(注88)という記述があるため、いとうのいぢ先生がそのイメージで描いたのがこのイラストなのかもしれません。アニメ版では『憂鬱』のものと同じメイド服だったため、いつか改めてみくるちゃんがサマーバージョンのメイド服を着たイラストやアニメを見てみたい気がします(完全に余談です)。
あとがきによると「この辺りからシリーズタイトルそのものを「がんばれ長門さん」にしようかと思い始めたのですが、それだとストーリーがまったく動きそうになかったので断念しました。」(注89)とのことです。確かに『がんばれ長門さん エンドレスエイト』や『がんばれ長門さん 射手座の日』、『がんばれ長門さん ヒトメボレLOVER』辺りは異様に収まりがいいですがタイトルがほぼネタバレになってしまっていますし、『がんばれ長門さん 朝比奈みくるの憂鬱』だと一体長門が何をがんばればいいのか意味不明ですので、確かにこのシリーズ名だと後々物語運びに不自由したような気もします(これもほぼ余談です)。
〈各エピソード考察『ミステリックサイン』試し読みはここまで〉
孤島症候群
□『ミステリック』との類似点
『孤島症候群』は文庫『退屈』での書き下ろし作品です。谷川先生によると「本当は「ミステリックサイン」よりも前に書き始めてて、こっちが掲載される予定にまでなっていたのですが、書いているうちになぜかどんどん長くなってしまうという自己責任による諸事情で文庫のオマケ書き下ろしという体裁になりました。」(注120)とのことで、『ミステリック』の「わけあってアイデア出しから書き終えるまでの私的最短時間記録を作ったように思います。」(注121)というのはこの発表順序入れ替りのことを指しているようです。事件が団員の仕込みだったというオチが同じなのは、書いた時期が重複していた影響かもしれません。オチが同じでも方や長門&情報生命体の話、方や古泉くん&孤島の殺人事件とモチーフを変えており、全然似た印象になっていないのは流石の一言です。
お話としての『孤島』は七月中旬のテスト返却期間と、下旬の夏休み初日からの三泊四日の合宿旅行での出来事を描いています。『ミステリック』が主に期末試験最終日とその前後の話なので、時期としてはほぼ連続しています。古泉くんが七月中旬のさらに三日前の出来事について言及するシーン(注122)もありますから、一部の時間は『ミステリック』と重複している可能性もあります。この辺りは先述の執筆経緯とも重なるところがあり、メタ的に興味深いところです。
事件が起こるのは合宿旅行の三日目の昼過ぎで、そこに至るまでの丸二日間と三日目の昼まではフェリーとクルーザーでの船旅や海水浴、卓球大会に麻雀大会、二夜連続での未成年飲酒乱痴気騒ぎ(注123)とバカンス感あふれる内容になっています。ミステリーパートは三日目の昼過ぎから数時間程度で終わってしまったようですが(注124)、旅行は元々その翌日までの予定だったので、古泉くんは翌日のシナリオまで用意していたのかもしれません。もしキョンが止めなかったらどんなシナリオが実行されていたのか興味深いですが、ハルヒの精神が限界を迎える方が先だったような気もします。
〈各エピソード考察『ミステリックサイン』試し読みはここまで〉
エンドレスエイト(エクストラ)
□夏の最後の一ピース
『エンドレスエイト』は『暴走』に収録されているエピソードなので本来本書での考察対象には含まないのですが、『退屈』収録の各エピソードと同様時系列的に『溜息』の前に位置する物語なので、本書の主旨に関する要素だけ簡単に触れます。本作に関する詳細な考察は次回刊行予定の『精読・涼宮ハルヒの暴走 ~非公式考察読本シリーズvol.5~』に譲ります。
まずハルヒとSOS団面々との関係について。彼女が『夏休み中にしなきゃダメなこと』リストを作成する際、みくるちゃん、長門、古泉くんに要望を聞き、みくるちゃんの希望を取り入れています(注171)。また、盆踊りや花火大会の予定を古泉くんに調べさせる(注172)など、『孤島』で培った団長と団員、団長と副団長という関係が板についてきている印象です。
みくるちゃんは未来に帰れなくなったことが分かった際、まず古泉くんに相談をしています(注173)。その後長門には古泉くんが、キョンにはみくるちゃんが連絡をしたという流れのようです。みくるちゃん的にキョンよりも古泉くんの方が頼りになるのか、もしくは一般人であるキョンを巻き込むまいと思ったのかもしれません。彼らが連携すること自体は『憂鬱』でも『ミステリック』でもあったことなので、関係性においては特に新しいことではありません。古泉くんが「僕や長門さんや朝比奈さんも心を砕いてがんばっています」(注174)と言っていた事から察するに、もしかしたらキョンが呼ばれるケースの方が少ないのかもしれません。
〈各エピソード考察『エンドレスエイト(エクストラ)』試し読みはここまで〉
note継続のためのサポートをお願いいたします!支援=モチベーションです!