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2024年、表参道日記 その1
2022年1月、村越美津子さんが亡くなった。
村越さんは表参道ヒルズ同潤館の画廊、Galerie412のオーナーであった。
訃報は、DMハガキで届いた。
”A TALE -物語- 思い出とともに” と題された、追悼の展覧会のお知らせだった。
2022年1月18日、画廊オーナーの村越美津子は亡くなりました。
90歳でした。生前は大変お世話になり御礼申します。
1974年に画廊をオープン、今年は48年目を迎えました。
「48年目だから、幸せな年にしましょう」と、話されてた村越さん。
大好きな作品と共にお過ごし頂けると幸いです。
駆けつけたGalerie412で、スタッフの渡部千鶴香さんはいつも通り明るかった。
手を取って挨拶した明るさの中に、うるんだような、秋空のようにさわやかなかなしみが感じられた。
村越さんが亡くなってから、すでに半年以上が経っていたのだ。
ギャラリーには、ひっきりなしにお客さんが訪れる。
渡部さんがひとりひとり、懐かしそうに出迎える。
村越さんがボリビアに旅したときの話などを、それとなく立ち聞きした。
私が最初にここに来たのは、2010年、ジャコメッティのポスター展だった。
偶然、表に出ていたチラシを目にして、ここに上がってきた。
元みすず書房社長の加藤敬事さんにも、その時出会った。
加藤さんは、2021年4月4日にガンで亡くなっていた。
あのときここにいた3人のうち、2人が、もういない。
2012年、私は村越さんに、インタビューをさせて頂いた。
このインタビューは、一般的な意味での「仕事」ではなかった。
まとめたものを自分のブログで公開したい、という、純然たる個人的企画だった。
ちゃんとした媒体や版元からのちゃんとした取材依頼などではぜんぜんなかったのに、村越さんはそんなことは、意に介さなかった。
真面目に受けて下さって、時間をかけてお話をして下さった。
書き上がった原稿も、チェックして頂いた。
それがこれまで、noteで公開してきている『表参道日記』である。
村越さんにインタビューをしたとき、ずっと横にいて細かい情報などを補足してくれた渡部さんにも、いつか改めてお話を聞きたい、と思っていた。
お二人のことが大好きになっていた。
「憧れる」というのは思うに、二種類ある。
「自分もこんな人になりたい」という、自分の延長線上の憧れと、「自分は決してこうはなれない。本当にかっこいい、素敵だ」と感じる憧れである。
私は後者の意味で、お二人に憧れを抱いたのだと思う。
村越さんのいない今、渡部さんに、改めてお話を聞かせてもらいたい、2012年のインタビューの続きが書きたい、とお願いした。
渡部さんは、快くOKしてくださった。
入り口近くに、加藤さんの遺作となったエッセイと、野見山暁治のエッセイが積まれていた。
帰り際に一冊ずつ買った。
京都に帰る新幹線の中で、加藤さんの本をぱらぱらとめくった。
『ある人文書編集者の回想 思言敬事』加藤敬事著、岩波書店
不意に、想定外の一行を目にして、ページをめくる手が止まった。
「星占いの石井ゆかりさんに会ったのも、ここだった」。
オビには「出版には不思議なことを起こす力がある」と書かれている。
ほんとうだった。
渡部さんはあとで、「中に石井さんの名前があるの、知っていたけど、言わなかったの」と笑った。
以下のインタビューは、2012年の「表参道日記」の、続きである。
(続く。)