感覚は道標
どうしてもituneストアで買ってしまうのだが、時々CDをさわると、ブックレットがとてもあたたかい感じがする。
くるりの岸田さんは、私より2つ下だが、新譜を聴くと「人として、彼は少し先に行っている」と思うことが多い。
同世代の共感がありつつ、それよりもう少し先にいる気がするのだ。
今回の『感覚は道標』は、特にその印象が強かった。
自分たちはもう、年齢的に立派な「おとな」なのだが、何がおとなで、どうおとなか。自分がこどもの頃に「この人はおとなだ」と思っていたその「おとな」と、自分がなんなんとしている「おとな」は、どう違うのか。
こどもから見上げるおとなは、せのびして届く存在で、限りない力を持っている。でも、おとなになってしまえば、もはや背伸びは不要である。ほんとうのおとなは、背伸びはしない。
また、おとなには、「はい、これでちゃんとおとなです」のゴールもない。人間は、ずっと、おとなになりつづけるしかない。
せのびせずにおとなになり、おとなになりつづけるには、どうしたらいいか。
岸田さんはそのあたりに、感覚的な答えを見つけつつあって、それが音楽の中に溢れている、と勝手に考えた。
私はまだ、今一歩(いや、二、三歩)そこに至らない。
しかし、道案内というか、ひとつの案みたいなものを見た気がした。
ありがたいのである。