柳家小三治とパディ・モローニ
気がつくと、最近のブログは訃報を受けて書いた文ばっかりだ。もうしばらくは訃報から文字を書くのはやめよう、そんなふうに思っていた矢先、自分にとってまたもさびしい報せを目にした。
柳家小三治とパディ・モローニの訃報が続いたのは個人的にとてもしんどく感じている。自分にとって、二人は似た者同士だ。芸に対する謙虚で真摯な姿勢。熱意ある厳しさで芸を追究する求道者。いざ客前に立つと徹底的に楽しませるエンターテインメントのプロフェッショナル。時折見せるその表情が子供のように愛くるしかったりするのも二人に共通する魅力だ。陰では人知れず芸と格闘しながら努力を重ね、研鑽を積んでいるであろう二人は、そんな苦労を表に出さず、飄々とした態度でとんでもない名人芸を観せる。
そんな二人が相次いで旅立った。これは本当にしんどい。
チーフタンズを知ったのはたしかワールドミュージックなる言葉が流行りだしたころ。世界中のローカル音楽が英米のロックやポップスと交わり、コマーシャルなものとなっていく、そんな話題があちこちで聞かれ始めたころ、アイルランドの大物として紹介されていたのがチーフタンズだった。そのころにはすでにモローニはお爺ちゃんで、なんとなく萩本欽一に見えた。自分にとって、アイリッシュ・トラッドの入口に立つ優しそうな欽ちゃんは、屈託のない笑顔でその門を開けてくれ、いろいろな歴史を教えてくれた。
チーフタンズの来日公演にも何度か行った。ショウの構成が大きく変わることはなく、演出も少ししかなかったけれど、彼らのステージはいつも楽しいものだった。古くからのメンバーとの演奏は手練の技術を余裕綽々に見せるパートだ。マット・モロイの長めのソロを、腕時計に目をやりながら、"おいおい、まだ続けるのかよ、いい加減にしとけよ"というポーズでたしなめる、"それ以上続けるとクビにするぞ"という仕草をする、そんなお約束の場面も、とぼけたモロイの表情とセットとなっていつも笑わせてくれた。(で、そのモロイのソロがまたとんでもない技術だったりするのだ)
かと思うと、新たに加入したばかりのトリーナ・マーシャルの初々しいソロを愛しげに見守っていたり(まるで自分の孫娘を見つめるように)、ゲストで参加したアシュレイ・マックアイザックの、アイリッシュダンスしながらのフィドルに感嘆したり、ピラツキ兄弟の激しいダンスに大喜びしながら拍手したりと、若手のミュージシャンに真剣に向き合い、サポートを惜しまなかったりもする。後進に向ける眼差しがとてもとても温かかったのも印象深く記憶に残っている。
思い出深いのは、彼らのステージにゲストで元ちとせが出たとき。彼は"ハジメチトセ"と言えず、"ハジメチセト"とか"ハジメセチト"とか言って、結局ちゃんと言えなかったこと。それをまたあの可愛らしい表情で言うのだ。で、そんなふにゃふにゃとした空気がただよったその直後に、キリッとした面持ちでガツッと迫力ある演奏に没入する、その変わり身のすごさに度肝を抜かれてしまうのである。
小三治は熱心に追いかけていた噺家だ。まったく無駄のない、どこをとっても意味のある言葉を、その間のとり方であったり、その抑揚であったり、その強弱であったり、巧みに駆使し、登場人物が生き生きと舞台の上を動き回る。滑稽噺も人情噺も彼の手にかかれば鮮やかにその場景が浮かび上がる。
最初に観たのは「初天神」。これは衝撃だった。魅了された。こんな表現ができるものかと仰天した。落語のことをよく知らない当時の自分にとって、これは落語の可能性の大きな拡がりを体感するすさまじい経験だった。それからというもの、行ける機会があれば彼の独演会に何度も足を運んだ。
そのなかで、ことさら衝撃だったのはあるとき観た、いつもとは違う「長屋の花見」だ。あれは小三治自身が意図してそうしたのか、それともなんらかのハプニングでそうなってしまったのか、なんだかよくわからないままに登場人物全員が奔放に動き回る高座だった。自分勝手に動く長屋の住人によって小三治の口から出てくる言葉はヨレヨレ、話しの流れもボロボロ。コントロールが効かないまま、気ままな住人たちを小三治は好きなように泳がせる。いや、住人たちが小三治を翻弄しているといった方が適切だろうか。話しの筋はわかっているのにどう展開していくのかわからないスリルと、小三治がどのようにこの住人たちをナビゲートできるのかという不安。乱れに乱れたこのときの「長屋の花見」はまるで、チューニングが狂った楽器をそのまま演奏したようなものだった。が、小三治はこれをまたとんでもない技術でもってふらついた住人たちを話しの結びへと導いていくのだ。その技がどういったものであるのかはいまだにわからない。登場人物が話し手から離れ、それぞれの人格のまま動き回ることにも驚いたが、そんな荒波のなか、荒削りながらもなんとか舵をきり、しっかりまとめあげる、小三治のその技量には震えるほど感動した。
日本とアイルランド、それぞれの国の文化を研ぎ澄まし、その素晴らしさを現代においてしめし、人々を魅了してきた至宝がいなくなってしまった。小三治は高座を映像化することに否定的だった。そのとき発した言葉は次の瞬間には過去のものになる。映像化、音源化は無意味だというようなことを言っていたそうだが、これからはそんな過去のものを観たり聴いたりするしかなくなってしまった。