伊豆田洋之のエリック・カルメン誕生日ライヴ

エリック・カルメンが亡くなってから早5ヶ月。SNSではこれまでたくさんのミュージシャンが哀悼の意を表し、彼の業績を讃え、悲しみに暮れていた。しかしながら自分は彼が亡くなったという実感をまだもてずにいる。訃報はただのニュースに過ぎない。最近ではとかくフェイクニュースなどというものもたくさん散らばっていて、真実が靄の中で見えにくくなっていたりする。彼の訃報もフェイクニュースのひとつなのではないか? 根も葉もないデマなのではないか? いまだにそんなことを考え、訃報を信用しきれないまま、彼の音楽をいままでどおりに楽しんでいたりする。

エリックの訃報があってからしばらく、彼の情報をいろいろと漁っていると伊豆田洋之というミュージシャンの名前をよく見かけた。彼のことは、"エリックの曲をライヴで再現している人物"として知っているだけだったが、そんな彼がエリックの訃報を受けて追悼ライヴを行なうという。もともと彼のエリック再現ライヴは定例化している行事でもあるようで、そのパフォーマンスはエリックファンから高く評価されているのだそう。ここで初めて彼の存在が気になり、その追悼ライヴを観に行こうと思い立った。が、結局、何度か行なわれた追悼ライヴを一回も観に行くことができず、定例となっているエリック誕生日ライヴまで待つことになった。この日ようやく観ることができたライヴ、それは思っていた以上の強烈な体験であった。

ピアノからあふれる力強いメロディ。憂いを含みながら高らかに駆け上がっていく歌声。そこにある限りないリスペクトと愛情。エリックの曲にある人生の刹那的な楽しさやどうしようもなくつきまとう悲哀をごくごく自然に照らす伊豆田の表現に感服した。そして、曲に対してあれほど敬意をはらい、繊細に触れ、謙虚な熱意でもって接する彼のパフォーマンスは純粋なエリック愛ゆえのものであることが確認できた。エゴなど一切感じられない、思慮深さに満ちたその姿勢、あくまでも曲を丁寧に再現しファンに伝えることに注力した歌唱は厳かな気配さえただよっていた。

エリックの曲の美しさについてはいまさら言うまでもないが、伊豆田のそういった姿勢は曲そのものの魅力を引き出し、磨き上げていた。そこには当然、伊豆田洋之というフィルターがあるのだが、ステージが進んでいくにつれ、そのフィルターも"有って無いようなもの"に思えたのは不思議だ。それも彼のエリック愛の為せる業なのだろうか。ピアノだけ、ギターだけのネイキッドな演奏は、曲の一言一句をなぞろうという思い、曲の真髄に触れようとする気概にあふれていて、そんな彼の精神が魔法のような歌唱となって解き放たれていく。その過程で彼のパーソナルなフィルターは曲に同化し、同調していったのだろう。彼の敬虔な愛情はエリックの曲をより鮮やかに映し出していたが、驚いたのはそうして放たれた曲が彼に応えるかのようにそれぞれ意思をもち、彼を見定め、彼に付き従い、伊豆田洋之という人をエリック・カルメンその人に染め上げてしまった、そんな気がしたことだ。曲が伊豆田洋之を自分の主と認めているかのような感覚は衝撃的であった。

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