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倉井夏樹の「ダニー・ボーイ」

アイルランド民謡に「ダニー・ボーイ」という曲がある。アイルランド民謡のなかでも世界的に最も知られている曲のひとつで、このあたりの分野に特別親しんでいない人でもメロディは聴き覚えがあるはず。この古い曲が現代でも広く知られているのは、有名無名問わず多くのシンガーがうたってきたからだろう。そしてまた、ジャズやカントリー、R&Bなど、それぞれのジャンルで名をはせたシンガーによってたくさんの録音も残されてきた。日本の歌手でも、美空ひばり、江利チエミから平原綾香まで、昭和から令和の時代に渡ってうたい継がれている。まさしく世界的なスタンダードといえる名曲である。


 しかしながら、自分はこれまで、この曲の歌詞を気にしたことがない。うたを耳にしたとしても、歌詞を感じながら聴いたことがまったくないのだ。自分にとってこの曲はそのメロディさえあればそれでじゅうぶんで、歌詞は蛇足にしか聞こえないのである。うたを聴く際、そういう聴き方は間違っているかもしれない。もちろん、シンガーがうたに込めるものは歌詞をとおしての感情であり、その感情がいかに聴く側に伝わるかがシンガーの目的であろう。ただしこの曲には、具体的な言葉に囚われない、もっと広範かつ普遍的な心象風景が宿っているような気がするのだ。シンガーはうたうとき、ほぼ確実に歌詞に縛られる。まったく解釈を変えたとしても、それは元の歌詞から派生したものであって、結局は歌詞に縛られていることになる。
 自分はこの曲を聴くとき、つねに自由な解釈をしたい。歌詞にある言葉にイメージを限定されたくはない。自分はそれだけ、この曲のメロディに浸りたいのだ。歌詞にある言葉以外の意味を見出だしたいのである。

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