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最新作『To Save A Child』からみるエリック・クラプトン

テレビから流れてきたエリック・クラプトンの新曲「Prayer of a Child」は大きな衝撃だった。いまガザで起こっていることへの思いをストレートにあらわした歌詞。諦念さえ感じさせる曲のムード。エリックの不安感にみちたヴォーカル。それらが混ざり合って見える世界はあまりに痛切で、聴いていると辛くなってくる。

市井の民が無辜の血を流しているガザ。エリックはそこにいる子どもたちに思いを馳せる。あの子は生きているだろうか。はたして無事でいるのだろうか。
過酷な環境におかれた子どもたちに救いの手を伸ばすこともできず、ただただ祈るのみ。沈鬱な曲のなかで喘ぐ思いは燻り、無力感に苛まれる。エリックは不安に襲われながらも平和を懇願し、争いが終わることをひたすら神に唱え続ける。彼が希求することはその歌声から溢れる静かな激情に明らかだ。

曲の衝撃は殊の外強かった。傷ついた血まみれの子どもたち、瓦礫を背に泣き崩れる女性、すべてを失い呆然とするばかりの人々。それら、以前見たニュース映像が頭の中にフラッシュバックする。曲が喚び起こす場景に心が苦痛に呻き、身悶えする。曲を聴いていると苦しさの度合いは高くなり、やるせない感情に引き摺られていく。
曲の途中まで聴いて、どうにもいたたまれなくなり、音楽を止めた。その痛々しさに耐えきれず、最後まで聴くことができなかった。

最近のエリックの活動をまったく追っていなかったので、この曲がどういった経緯で生まれたのかまったくわからない。ガザの子どもたちを救うことを目的としたチャリティ公演が昨年暮れに行なわれたようだが、そんなライヴがあったことすら知らなかった。
それだけにこの曲を唐突に聴いた衝撃は大きかった。いまのエリックがこんな曲をつくれるとは思いもしなかったのだ。

なんの下調べもせず、一切の知識もないまま、そのチャリティ公演を収めたというライヴ・アルバムを聴いてみた。オープニングのタイトルは「Voice of a Child」というインスト曲(歌詞のない「Prayer of a Child」)。タイトルのVoiceがどういった意味をもつのかいろいろと考えを巡らすうちに次の「Tears in Heaven」へとつながっていく。

そこでまた驚いた。ここでのエリックのうたい方は実に凛としていて、達観さえ感じさせる、いままでにないうたい方なのだ。「Tears in Heaven」をうたうときのエリックはつねになんらかの脚色をつけ、感傷的に表現する方法を採ってきた。それはときに、降りかかった不幸をショウビジネスのネタにしているように思えるときもあったし、またライヴの定番となったこの曲は毎度毎度の"お涙頂戴"バラッドとして定着してしまったように映るときもあった。

しかしその脚色には、我が子を失った心の痛手を護る、いってみれば自衛的な目的があるのかもしれない。この曲をつくる際、失意の底にあった彼は歌詞の初めの部分しか書くことができず、ほとんどをウィル・ジェニングスに依頼して完成させたそうだが、これはそれほどセンシティヴな内容の曲であり、エリックにとって表現しにくいものだったといえるだろう。他人が書いた詩の世界を、自身がかかえる悲しみに近づけ過ぎることなく、エンターテインメントとして表現するということ。そのためには、この曲を脚色する必要があった。現実の悲しみを回避し、フィクションとして完成させる手立てとして、あえてメロドラマティックにする必要があったとしても不思議ではない。
彼の気持ちを考えるとこの曲の感傷的な脚色を責めることはできない。彼もミュージシャンである前に一人の人間である。悲劇的な運命を前に、もっとストレートな悲しみの表現もあったであろうというリスナー側の思いがあったとしても、"この曲はそういう曲である"と認識するしかなかったのだ。

ところが、このライヴでの「Tears in Heaven」はそういった脚色はまったくされておらず、曲が曲のありのままの姿を見せているという意味で、とんでもない名演である。

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