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憧れの人 オリビア・ニュートン・ジョン

 彼女のことを、いつ、どのようにして知ったのか、いまとなってはまったくわからない。自分が小学生になるかならないかのときには、彼女はすでに日本で人気者となっていて、テレビでもラジオでも雑誌でもポピュラーな存在となっていた。自分もそうやってあちこちで引っ張りだこだった彼女をどこかで見聞きしたのだろう。いつの間にか彼女を知ったそのとき、自分はその美しさの虜になっていた。
 第一印象は清楚で優しそうで笑顔が輝いている人。ものすごく人気があるのにとても謙虚で、落ち着いていて、誰とでも分け隔てなく気さくに接する姿を見ているうちに、彼女は憧れの女性となった。そしてどういうわけか彼女のことをとても身近な存在として見つめていた。まるで、通っている学校の先生とか、何軒か先に住むおねえさんとか。自分が住んでいた田舎では海外のブロンドの人を見たことさえなかったのに、なぜか彼女だけはすぐ近くにいて、いつでも会える人のように感じていた。彼女が来日したとき、日本のメディアは彼女を追いかけ、いろいろなところで彼女を紹介していた。家にいれば歌番組のゲストに出ていたし、ラジオでも彼女の歌声はよく流れてきた。自分が住む田舎の本屋にも彼女を表紙にした雑誌がいくつか並び、店の前を通るたび、笑顔でこちらを見る彼女を目にした。彼女を身近に感じたのは、たぶん、近所で目にするそんな雑誌のせいだったのかもしれない。

 まだまだレコードを買うことさえままならない小学生にとって、彼女の音楽に触れる機会は限られていた。テレビ、ラジオから流れてくる歌だけが彼女の音楽のすべてだった。「そよ風の誘惑」「ジョリーン」「カントリー・ロード」。ただ自分にとってはそれだけでじゅうぶんだった。シンガーの彼女にはとても失礼なことだが、自分はそれ以上、彼女の歌を聴かなくてもかまわなかった。彼女はシンガーというよりももっと別な存在で、ただ身近に感じることができればそれだけでじゅうぶんな人、自分にはそんな思いが強かったのだ。不思議なことにそこに恋心みたいなものはまったくなかった。身近に感じながら憧れる、そんな存在だった。

 1978年、映画『グリース』が公開された。彼女はそれまでの清楚なイメージから一変、レザージャケット姿で、ギラギラしたいやらしい雰囲気の男と共演していた。そこでヒットしたデュエット曲は久しぶりに聴いた彼女の曲だったがこれが衝撃的だった。彼女は大人っぽい静かな曲をうたう人、そんなふうに思っていたのが、いきいきと激しくうたいあげる彼女の声を聴いてびっくりした。親に連れて行ってもらえず、結局映画は観に行けなかったけれど、「愛のデュエット」「想い出のサマー・ナイツ」はラジオでよくかかっていてお気に入りだった。ラジオにしきりに電話リクエストしていたのもこの頃の思い出だ。


 映画『ザナドゥ』では華々しくうたった表題曲と「マジック」もヒット。これらはラジオで取り上げられることも多く、エレクトリック・ライト・オーケストラなるバンドがいることもここで初めて知った。この後、ELOはとても好きなグループになるのだが、そのきっかけとなったのが彼女との共演だった。当時、やはりこの映画も観られず、曲のイメージでキラキラした映画なのだろうと勝手に想像していた。


 彼女の最大のヒットとなった「フィジカル」にも驚いた。レオタード姿でトレーニングする彼女の姿は、当時ジェーン・フォンダが提唱したエアロビクスの流行からきていたと思うのだが、まさか彼女がその時流にのるとは思わなかった。そもそも彼女が身体を前面に出したということに複雑な思いを感じていた。が、そんな個人的なモヤモヤに反して「フィジカル」はメガヒットを記録。彼女は十年以上前のように頻繁にテレビやラジオに登場するようになった。


 それと同時期、アルバムの全曲をイメージ映像化した作品がリリースされた。ビデオデッキもまだ一般家庭に普及していなかったこの頃、近所の電気屋でその映像集が流されていた。しかも当時の技術の最先端、一般発売されたばかりのレーザーディスクで。家にレーザーディスクプレイヤーもビデオデッキもなく、映画さえ観ていない自分にとって、その電気屋はそのとき、自分だけのプライベート・シアターとなった。一人その場に立ったまま、一時間以上も見入った。

 やがて、日本の洋楽に対する向き合い方は変わっていった。MTVの流行や情報の多様化などによって、洋楽の扱い方がそれまでとはまったく違っていった。彼女は派手なシンガーではないし、話題をさらうようなトピックを提供する人でもない。多くの情報がどっと入り込んでくる時代になると、彼女のような地道な活動をするシンガーは行き交うたくさんの情報のなかに埋もれていった。彼女がヒット曲を出しても、日本のメディアはそれを大きく取り上げず、他の旬のアーティストに目を向けるようになった。


 彼女が病と闘っている、そんなニュースを見聞きしたのはいつだっただろうか。ただ、そんなニュースのあとでも彼女はうたい続けた。東日本大震災にも思いを馳せ、福島にも来てくれた。自身の体調の不安もあったであろうに、人への優しさ、希望を持ち続けることの大切さを届けてくれた。そんな彼女の強い人間力には、自分がずっと前から感じていた憧れがあった。謙虚で凛とした強い誠実さ。自分にとって、彼女は大事なことをいまでも教えてくれる存在だ。

どうか安らかに、オリビア……


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石井達也
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