カルチャーショックと風邪っぴきベトナム旅🇻🇳
家族でベトナムに行ってきた。
私は国内旅行はしょっちゅう1人でもぶらっと行っちゃうくらい好きだが、海外にはあまりいかない。コロナもあったので、数年ぶりの海外。
ベトナム旅でたくさんのカルチャーショックを受けてきたので、忘れないうちに書き留めておきたいと思う。
ザ・東南アジアカオス、ハノイ
行き先は、ベトナムの首都ハノイ。
都市の規模はホーチミンほど大きくない程よい都会で、フランス植民地時代の面影もあり東南アジアとヨーロッパが混ざった町並みを楽しめる。
初日は、バイクの多さと運転の雑さ、鳴り響くクラクションの音にビビりながら、命がけで道を渡る経験をして、ベトナムの洗礼を受けた。
また、私は排気ガスだらけの空気が合わなかったのか、初日から体調を崩し日に日に声を失っていった。
ハノイで感じたことがたくさんあるので、箇条書きします!
街中で流暢な日本語で話しかけてきたベトナム人がいて、日本に住んでいたこともあるという。仲良く喋っていたものの、結局ビジネス?目的っぽいので逃げることに。私たちが立ち去った後もすぐ他の日本人に話しかけていた。それに対し腹立たしいというよりは、日本語を一生懸命勉強したにも関わらず、結局ぼったくりビジネスのようなことでお金を稼がなきゃいけない経済的事情に悲しくなってしまった。
犬の💩を踏んでしまった。人生初だ。私は結構潔癖なので、それはそれはショックな出来事だったが、この💩事件やベトナムの屋台メシを食べているうちにだんだんと潔癖が和らいで生きやすくなった感じがする。これは一歩前進だ。
明らかに排気ガスだらけの空気と、道に広がるゴミたちを見てしまうと、どんなに日本で環境保全!エコ!SDGs!と頑張っていても無駄に思えてしまった。今まで日本もやってきたことだからしょうがないけど目の当たりにしちゃうとゲンナリ・・・
発展途上国の勢いを感じた。何より街にいる人の年齢層が若い人が多い!日本も昔はこんな風に若々しく勢いのあった時代もあったんだよなあと、衰えゆく日本しか見たことのない世代として、少し悲しく思った。
私はディープスポットなるものが好きなのだが、あくまでも日本でディープスポット探しをするのが好きなのだとわかった。日本のような美しい秩序の中で見つけるカオスを見つける宝探し感が楽しいんだよね。
幸せの村、マイチャウ
お次はハノイから車で3、4時間ほどで着く、マイチャウへ。
少数民族が暮らすのどかな田園地帯。手織りの布が特産品で、あちこちで原始的な織り機が見られる。
ハノイの喧騒に少し疲弊していた私たちは、美しい田園ビューのホテルに着いた瞬間、歓喜、歓喜!
ここは今回の旅のナンバーワンスポット。本当に来てよかった。日本人が忘れていた大切なことを思い出させてくれる場所だった。
まず、全部手作業、手作りであること。田植えも全部手作業、ホテルの建物、インテリアも全部手作り。ホテルのレンタルバイクが壊れててもオーナーが自力で直してくれる。全部手でやるからこそ、便利じゃないからこそ、コスパ思考に侵されず全く時間に追われていない。自然の成り行きに身を任せて時が流れている。お金と引き換えに全て誰かにやってもらうことに慣れきってしまっている自分は見習わなければならないと思った。
昼は布製品のお店をやったり、田植えをしたりして、夜はみんなで集まって宴をしている様子を見て、職業や生活スタイルがみんな同じで家族や地域で助け合って生きていく暮らしも悪くないなと思った。日本の田舎も、昔は地域で協力しあって生きてきたんだろうけど、職業や生活スタイルが多様化した現在、そういう地域の繋がりは足かせになりつつある。そういう繋がりの悪い面ばかりが浮き彫りになってしまっているが、マイチャウで初めて繋がりの良い面を見れた気がする。
マイチャウは自然や動物がいっぱいなのだが、自然や動物は守るべき対象ではなく、自分たちが生きるために共存しているという印象。例えば、自然物を使った手作りの家で暮らし、田畑を耕しつつ、自宅でニワトリやアヒル、牛を飼って、それを食べる、そんな暮らし。本来人間はそうやって生きてきたはず。いかに自分の暮らしが、そういった人間の原始的な暮らしのあり方から離れているかを実感した。
マイチャウの人々は、経済的には豊かではないけど、心が豊かで幸せそうに暮らしていた。本当の幸せってこういうことなんじゃないかな、日本をはじめ先進国って色々進めすぎちゃったんじゃないかな、と色々と考えさせられた。
今回は久々の海外旅行で様々なカルチャーショックを受けたことに加え、喉風邪、胃痛(食欲減退)などの体調不良になり、心身ともに大ダメージ。
6日ほどの海外旅行でこんなにダメージを受けているなんて、なんと情けない・・・。
今後は私は旅好きと名乗らず、謙虚に「国内旅行好き」と名乗ろうと思う。