noteを書く心の余白が欲しい
お酒を飲んで気持ちが良いので、久しぶりにブログを書いている。
最近ブログに書くテーマがない。
ブログに書くほどの出来事がないのではなく、ブログに書くほど、感情の動きや日常の中での”気づき”がない。
去年の私が同じことを体験していたら、もっとたくさんの”言葉(=湧き上がる感情)”が生まれているんだろうな〜と悲しくなる。
理由はいくつか考えられる。
昔は何か気づきがあった時はメモを取っていたが最近は取っていない、言語化するのを怠っている。
社会人になって自分の感情を抑え込む癖がついている
業務内・外という概念が生まれたせいで、業務外に自分に向き合う気が起きない…などなど。
つまり、心に余白がないのだ。
私は、社会人になるにあたっての目標として、どんなに忙しくなっても”自分の小さな感情の動きに気づく心に余白を持つ。”ことを大事にしようと考えていた。
でも、結局1年前の約束を果たせていないのが現状。
大学時代に比べ忙しいかと言われれば、全くだ。
むしろ拘束時間は短く、規則正しい健康的な生活を遅れているので、時間的な問題ではない。
業務内外というメリハリが生まれたことによって、人間関係からも仕事のプレッシャーから解放される業務外に何もしたくない!というのが一番大きな理由な気がする。
そんなこんなで、自分の中に生まれた小さな違和感や幸せを言語化することを怠っていることで、モヤモヤしている。私はもともと言語化することでスッキリする人間なのに…。
そんな悔しさを日々感じながら、今日も私は自分を無視しながら生きている。
これは答えの出ない悩みだが、少しずつ”自分”を取り戻すため、ブログやラジオを更新する心の余白を作りたい。切にそう思う。
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