我が子を看取る㉕ 家族だけの時間
※この我が子を看取るシリーズは、当時の日記やSNSを振り返って記載しています。
24時間が経過して私はつながっていた管から解放された。
そして痛みを堪えながら立ち上がった。
歩けるようになれば、我が子を抱ける。
そうして私はNICUに車椅子で連れて行ってもらった。
ドラマでしかみたことのないような光景。
夫と私はたくさん話しかけて子守唄を歌って過ごしました。
初乳も本当に僅かしか出なくてそれを綿棒で口に含ませた。
「ごめんね、これしか出なくて」
思えばこの時間が一番幸せだったかもしれない。
パパとママと娘 家族三人で穏やかに過ごした時間。
話しかけると、目をチラッとこちらに向ける。
ん?と返事をしてくれているような仕草だった
一生懸命呼吸をしながら 目を開けてくれたり
私たちはずっとこの時間が続けばいいのにと思った。
その晩も私は一緒に寝ようと思ったのだけれど
肩で大きく呼吸していたり
無呼吸の瞬間があったりして
目が離せない状況になった
私は息をしていない瞬間にパニックになりそうだった
息をして!と言いながら揺すりたくなってしまう。
もちろんそんなことはできなくて見守るしかできない無力さ。
とても大事な人が死に向かっているということを
ただ見続けているのは本当に怖かった
その晩は夫も病院に泊まった。