見出し画像

明けない夜はない(カウンセリングの効能といつまで休むか問題)

結論から言えば、傷が癒えるまでの時間は、外傷と違って人それぞれだということ。たとえ友人が悲しみに沈んでいたら「ゆっくり休んで」と誰もが言うだろう。

悲しみのトンネル

それでも当事者は葛藤する。一体どうしたらこのトンネルから抜け出るのか、と。
早く出ないといけないという焦り。
自分では出口が見えないという不安。
他の人はどうなんだろうという一般論でそこを目指したくなる。

悲しみからある程度癒えるのに必要なのは、時間と休息。
もちろん働くことで気が紛れる人もいる。好きな仕事なら尚更だろう。

カウンセリングに通い出す

私は月に一回カウンセリングに通っている。
次女を亡くした病院で母性保護の観点から受診できる精神科である。
娘を亡くした事情やそういう子供のケースを踏まえて話を聞いてもらえると案内された。

当初一番辛かったのは、母性保護の診察日がなぜか新生児の一ヶ月健診と同じ時間に設定されていること。小さい赤ちゃんの泣き声がどうしても耳に入って病院に通うだけでも泣けた。お母さんの腕から少し見え隠れする小さな足を見ては涙がこぼれた。

私を担当してくれた先生は同じ年ぐらいの落ち着いた女医さん。偉そうなところも、コントロールしようとするところも全くない。幼い頃に優しい学校の先生に少し耳を傾けてもらった時のような感覚だ。
こうして悲しみをただただ話して受け止めてもらっていた。


カウンセリングの効能(ただ聴いてもらう機会は日常にない)

時間をあまり気にしないスケジュールで、ただ聴いてもらうというのは積み重ねていくととても大切な貴重だ。
私は我が子を失った悲しみを夫とは共有できていたけれど、それでも全然知らない第三者に寄り添ってしっかり聴いてもらうというのは日常生活においてあまりない。たとえ友人であっても、いつまでも同じ悩みを聴いてもらうわけにはいかないし、堂々巡りの感情をぶつけるわけにもいかない。
アダルトチルドレン的な他者への気遣いをカウンセリングルームの中では気にしなくていい(とはいえ、最初は気になるが)

悲しいと泣いて
辛いと言って泣いて
こういうことが納得できないと怒りも吐き出し
愚痴愚痴と堂々巡りの内面を晒す

そういう心の内を表に出すということは自分が持ちすぎている重い荷物を少しだけ手放すことができる感じだ。


カウンセリングの効能(言葉の薬)

病院なので45分ほど聴いてもらってお会計は保険適用で1500円以内。
もちろん先生は型通りのアドバイスなどしない。
あるタイミングで少しフィードバックをしてくれるだけだ。

フジコさんは赤ちゃんだけじゃなくて、お母さんも失くしたんですね。

子供を喪失するだけでなく、それをきっかけに毒母との関係性が断絶したことを表現した言葉だ。

私のカウンセリングは、最初喪失に対する悲しみとやるせ無さ、無力感が私の主訴だったけれど、次第に毒母への憤りと怒りに変わっていった。
不思議と感情を同時に持つことはできず、悲しみと怒りというのは共存できない。
毒母への失望と怒りによって、私はある意味悲しみから距離を置けたとも言える。


私を後押ししてくれるもの(義務感から離れるススメ)

私の場合は気質もあって、なかなか会社を休職するということに慣れなかった。
実際休んでいるのだから、何も考えずに休めばいいだけなのだが、心に罪悪感が残る上、早く社会に復帰しないといけないのではという焦燥感すら生まれてしまう。
それを聴いていた先生の一言。

やったほうがいいというものは、別にやらなくていい
日記もしない!
ヨガも行かなくていい!

それは意外にも自分の心を軽くしてくれた。
誰かから許可をもらわないと休むことすらままならないのかと思うかもしれない。
それでも自分の現状に自信がない状態の今、先生からやらないでいいと言われるというのは気持ちが本当に救われた。
(夏休みの自主勉強はしたほうがいいと思うけれどできていない状況を想定してほしい。そういう時に最初からやらなくていい、むしろやるなと言われたらきっと嬉しくなる)


カウンセラー選びの難しさ

モモという話にもあるように、人に話を聴いてもらうというのは、正しく作用すれば本当に生きる力になる。
自分で語るうちに自分の中のエネルギーを自覚することができるからだ。

カウンセラー職種もさまざま台頭しているが、どのカウンセラーに聞いてもらうかというのは意外と大切なことで、実に難しいと思う。

夫は子供の喪失後に鬱になりかけていたが、そこで罹った心療内科は酷かった。
分業制で、話を聞くカウンセラーと、薬を処方するための医師と分かれている。
時間短縮のためなのかもしれないが、効率を重視したカウンセラーの関わり方が傷ついた心を楽にすることはなかった。


悲しみのトンネルの先にあるもの

悲しみを癒すもの、それは繰り返しになるが一番は「時間」しかない。
悲しみの種が芽を出し、花を咲かせ、枯れるというところまで見届けるしか、その種が一生を終えることがないように。
恐らく悲しみの種から生まれた花は人それぞれで、私たちに気づきや癒しをくれることもあるのだと思う。
悲しいということは愛していたからだということだったり、自分の本質に気づいたりとか。

今悲しみの最中にいる人も、必ず出口があることを信じてほしい。
明けない夜がないように。
どんな人生にも必ず美しい朝が来る。




いいなと思ったら応援しよう!