本気のエドワード・ノートン監督作『マザーレス・ブルックリン』
エドワード・ノートンが『僕たちアナ・バナナ』以来、約20年ぶりに監督に復帰した。しかも製作・監督・脚本・主演を務める本気っぷり。それが『マザーレス・ブルックリン』だ。
俳優が監督を務めて成功を収めた作品も多い。例えば、オーソン・ウェルズ、ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、メル・ギブソンがいい例だろう。最近だとブラッドリー・クーパーの『アリー/スター誕生』はイーストウッドの影響を感じさせる良作だった。
一方で俳優が監督を務めたのに全く話題にならなかった作品もある。例えば、ウィリアム・H・メイシーの『君が生きた証』、ビル・パクストンの『フレイルティー 妄執』、ライアン・ゴズリングの『ロスト・リバー』、ジョエル・エドガートンの『ザ・ギフト』、ジョージ・クルーニーの『サバービコン 仮面を被った街』、名前を挙げるとキリがない。ただ、俳優が作る映画は少しクセの強いものが多いので、ついつい私は見てしまう。当然、本作も“話題にならなかった”部類だ。
そもそもエドワード・ノートンは役者バカとして有名だ。製作には口を出すし、役作りがストイック過ぎて周りはついていけないこともある。今でさえ、『アベンジャーズ』のハルク=ブルース・バナー博士はマーク・ラファロとして定着しているが、本来は『インクレディブル・ハルク』で同役を演じたエドワード・ノートンがやっているはずだ。降板の理由は不明だが、役者バカのノートンが役作りに本気になり過ぎて、スタジオ側と対立していたとしても違和感はない。実際『インクレディブル・ハルク』のメイキング映像にはモーションピクチャーまで熱心なノートンの姿が映っている。
そんなノートンが小説出版前から映画化権を抑え、約20年越しで映画化にこぎつけた意欲作が本作。原作の時代設定は1999年だが、ノートンは1950年代の設定に変更(現代に置き換えるならまだしも、製作費のかかる過去に置き換えるという)。チック症という障害を抱えながらも桁外れの記憶力を持つ私立探偵が、上司を殺した犯人を追うミステリードラマをノワール調の作風に仕立てた作品だ。
『マルタの鷹』や『チャイナタウン』のような作品に憧れるノートンの気持ちもわからなくはない。確かに近年、ハードな探偵映画をあまり見なくなったし、俺がやらなきゃという使命感があったのもわかる。
しかし、残念ながらかなり退屈である…。144分は長すぎる。長い上にカタルシスもない…。
もちろん、ノートンがキャスティングした面子は最高だ。ウィレム・デフォー、アレック・ボールドウィル、ボビー・カナヴェイルという渋いメンバーが全力投球の演技で魅せる。
他の映画では手抜きしているのか?と思っていたら、ノートンはインタビューで「俺ら4人のめっちゃ近所で撮影した!」と語っている。拘束時間を短縮する“働き方改革”も有効だと実感する。
エドワード・ノートンが本気なのはわかる。20年も温めた企画を具現化したのも凄い。演技も最高だ。できることなら貶したくない。もっとダメな映画もある。だが、退屈なのである。だが、他に褒めるところがあった。レディオ・ヘッドのトム・ヨークが手掛けた音楽は素晴らしい!(残念ながら映画の面白さと釣り合っていないが…)
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