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永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている|東直子【一首評】
数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている
ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。
STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ
生きるとは、一日一日を重ねていくことだ。
その瞬間その瞬間は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、悩んだりすることがたくさんあるが、振り返ると案外忘れてしまう。
「あのとき、こんなことがあったよね。」
とその時にいたはずの人に思い出話をしても、
「そうだっけ?」
と言われることも少なくない。
そう言われてしまうと、とたんに自信がなくなってしまう。それぐらい記憶というのは曖昧だ。
ああ、全部覚えておければいいのに。
ある意味短歌は、その瞬間瞬間を切り取って置いておくための器(=道具)だ。だからちょっとメモったり、反芻したりしながら、最終的には31音の器に思い出を入れておくことができる。
ただ…、残念なのは31音で表現できるのは数秒まで。
1日=24時間=1440分=86400秒
1日は86400秒もある。
そのうち短歌で残しておけるのは、せいぜい60秒だとすると…。
残せないのは、なんと86340秒。
86400秒‐60秒=86340秒
最初は「永遠に忘れてしまう」なんて、ちょっと大げさだと思った。
でも確かに、86340秒もあれば、永遠に忘れてしまってる数万秒がたぶんある。
わたしたちが気がつかないうちに落としてしまっている時間。
気がついていないだけで、たぶんたくさんある。
***
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている
レモン石鹸って、今でも学校にあるのかなぁ?
わたしが子どものころは、学校の水道にみかんの網が縛り付けられていて、その中にはきいろいレモン石鹸が入っていた。
なんだかとても雑で、だからとても痛そうで。
「レモン石鹸」という響きはとてもおしゃれなのに、思い出す映像はぜんぜんおしゃれじゃない。笑
使ったことがない人のために少し補足するとすれば、すこしだけレモンが香るさっぱりした石鹸で、昭和の時代の定番品。
普通の白い石鹸よりは、柑橘の香りのぶんだけ、おしゃれ…かもしれない。
少なくともわたしは、「あ、ここレモンだ」って思って、その水道を好んで使っていた記憶がある。
・昭和レトロな風貌だが普通の石鹸よりおしゃれ
・泡立ちと泡切れが良く、さっぱりしている
・微香性でほのかにレモンが香るが、洗い流すとほとんど香りは残らない
時代が進むと学校ではそもそも石鹸を使わなくなり、最近はハンドソープに変わったと言う話もきく。
昭和の時代にしかない雑なおしゃれさが、なんだかとてもこの短歌をかわいらしくしているように感じる。
***
永遠に忘れてしまう一日を忘れないように、作中主体は石鹸を泡立てる。
泡で忘却回路をどうにかしようとするのだけど、泡なんてすぐに消える。
さらに言えば、レモン石鹸は普通の石鹸よりもさらに泡立ちと泡切れがいいのだ。
永遠に忘れてしまう一日のちょっとしたアクセントぐらいにはなるかもしれないが、もちろんそれ以上でもそれ以下でもない。
これが、レモン石鹸ではなく牛乳石鹸だったなら。
もしかしたら、ちょっと記憶に残すことができるかもしれない。
動物性の油分は強いぞ。おそらくレモンよりは。
STEP2:食べ続けて見えた情景や発見
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている
実はこの短歌を詠んだ歌人の東直子さんは、のちにこの短歌を元にしたエッセイ集を出版している。
そのタイトルは「レモン石鹼泡立てる」だ。
時間の経過とともに意識が変わり、忘れ去ってしまうことも多いのですが、書物の中に書かれた言葉は永遠にそこにあり、後世に過去の時間と生きていた人々の思いを新しく伝えてくれることと思います。この本が、そのささやかな一助となれば、たいへん幸いです。
なるほど、東直子さんはやっぱり永遠に忘れてしまう日常をおぼえておくために、レモン石鹼を泡立てていたようだ。
レモン石鹸=日常を覚えておくためのもの=エッセイ集(言葉が紡がれた本)
レモン石鹸とエッセイ集は同じ役割を果たす類似品であることがわかる。
レモン石鹸は、ちょっと効果が弱い。
牛乳石鹸にすれば多少は効果が強まるが、それでもまだ弱い。
であれば、エッセイ本で文字を残そうというのは妥当な判断だ。
うん、このエッセイ集も読んでみたくなった。
レモン石鹸のかわりに。
まとめ:好きな理由・気になった点
・「永遠忘れてしまう一日」という抗いようのない表現による恐怖
・「レモン石鹼」という古さと新しさがミックスされたようなめずらしい名詞の印象
・ある種の抵抗であるにも関わらず、印象が儚すぎる「泡立てる」という動詞の印象
とても好きな短歌のひとつです。
ごちそうさまでした。
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