失うものなんてもう何もない
丁度1年前の26歳の最後の日。僕は病院のベットの上に寝てた。
本当は憧れだったアーティストのライブのライブビューイングに行くはずだった、だけど突然発症した「気胸」という病気のせいで2週間ぐらい入院生活を余儀なくされた。
そして退院して、数日後に派遣先の仕事が終わった。その時、次の仕事はまだ決まってもいなかった。
なんとかしてエージェントサービスを利用して、いろんな会社の面接を受けて、ようやく次なる会社に行けれた。
けど、それでもまたその会社から派遣する職場へ面接を受けなければなかった、そして3ヵ月の末そしてようやく受け入れてくれる職場が見つかった。
でも、そこに自分の仕事は無かった。
職場の状況というタイミングとか、職場の退勤の遅さとか、周りに馴染めることができない孤独な環境とか、行くのがツライ日々を送るようになっていた。
結局、職場から辞めさせるように宣告されて会社も4ヵ月で降ろされた。
その時、僕はひとつ決心した。
「僕は普通じゃない人、だからずっと普通の人になろうと頑張ってた。でも、間違っていた。普通の人になれないなら、特殊な人になればいいんだ。特殊な人が特殊な人を受け入れてくれる場所を探しに行こうではないか。」
ADHD 注意欠陥・多動性障害
実を言うと、小学生の頃からこの症状を持っていた。でも、僕はそういうことを受け入れずにその日まで普通でいられようと頑張ってた。けど、その日を堺に受け入れて、特殊な人として行きていこうと考え始めた。
だけどそれを証明(障害手帳の入手)するためには半年以上必要だった。
なんとか生活費を繋げようと、事務の仕事や作業場での仕事をすることがあったが、それも普通の自分には出来る、長く続けることが出来なかった。
結局、自分は今日と言う日まで失業保険と親の金で生きている。
もし1秒でも早く自分が特殊な人だと受け入れてくれたら、PCやスマホを新調できたり、家に光回線繋げたり、いろんな所に行けたりしてたんだろうなって・・・・・
でも5年過ぎてしまったことはしょうがないのである。
世界は停滞を余儀なくされている、しかし自分はもう前から停滞している。
自分には失うものはこれ以上に無い、むしろ無くなってた。
いよいよ明日から28歳、これから自分はどうなっていくのだろう。
世界は新しい日常への切り替えを迎えるのなら、自分も新しい自分への切り替えを迎えたい。
「好きのために、好きなことを、好きにできる、無我夢中な毎日。」
その日が来ることを常に思い、今は力を蓄えるのだ・・・・・・