野人・のびと
はじめに
生きている自分を自覚することのひとつに、自然科学、社会科学の領域をまたぐ体験をしながら、時に感じ、考え、世界の、宇宙の構造をつかもうとする文化的総体活動があります。
その中で、これまでいつも引っかかっていた事として、明治期以前と以降、定住以前と以降の違いです。
私達は、それを正しく認識しているだろうか?と言う疑問でした。
言葉は思想を表すものですが、言葉の意味や概念の変容がこの時期(明治期)に起こります。これを捉える事は、構造を理解する一歩だと考えました、(自然、しぜん、じねんに象徴的に表れています)
また、私達は自分=自己を認識すると同時に、他者(あなた)つまり、二人称を一人称と分け、更に三人称を認識するようとなり、自己を持つ=エゴを持つ私と、それを清める神(仏)、あなたと私達の共同体、それを見守る神(氏神)を生みます。生きる上での思想を表現するようになります。そこから信仰が生まれ、美意識、文化、社会システムへと繋がっていきます。
只、社会システムは、ある時(定住以前と以降)根本的に袂を分かちます。山人(山の民、移動遊動狩猟採取民)と常民(田の民、定住農耕稲作民)のそれです。定住することで矛盾を抱えた私達の社会システムが万全ではないのは、構造的なもの故、いつの世もありなんです。そこで山人達の思想や世界観を僅かに今に残る片鱗を頼りに想像すること=世界の、宇宙の構造をつかむことに近付くものと考えました。
スタンス
そこで、体験的疑問を出発点とし、各学問成果を活用しつつ、各章をまとめました。そうしなければ、自称意識高い系的になったり、独善的主張つまり本人無自覚な説教となったり、ある意図に基づく幻想、神話の宣伝マン的になりかねないからです。
山人でも常民でもなく、保守でもリベラルでもなく、東(アルプス以東湿潤モンスーン風土の民)の民でも、西(アルプス以西乾燥風土の民)の民でもなく、対なる双方を見渡す、どちらにも加担することのない
野人・のびと(田方常民、山方山人がせめぎ合う双方の間にある野方の民の意)のスタンスでまとめよう としたものです。