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ウクライナのネオナチズムの実態とその歴史的経緯

ネオナチズムの実態

前回ウクライナにおけるネオナチのことについて触れましたが、ナチズムって第2次大戦時ヒトラー率いるドイツ軍がユダヤ人虐殺(ホロコースト)の名目に振りかざしていた主義主張でしょう。

でも、米国率いる連合軍でドイツ敗北、ヒトラー自殺とナチスの思想なんてこの地上から消え去ったのでは、と考えている方が殆どでしょう。

現在ドイツではこのナチスの思想や、ヒトラー礼賛などの言動には法律上の罰則が課されることになっていることもご存じの方は多いと思います。

ロシアのプーチン大統領が時々テレビなどで

「ウクライナはネオナチ政権である」

「これを倒さなければならない」

といったことを演説で述べているところが放映されたりしていますが、主流メディアは「そんなバカな、そんなものが存在するわけがない」「狂人の戯言」などと一蹴しています。

前回紹介したタッカーカールソンとのインタビューでもプーチンは紛争終結の条件として、ウクライナのNATO非加盟、ネオナチの根絶(ドイツのような法律でネオナチ信奉者を取り締まれ、という意味)を揚げています。

はたしてナチスの思想を掲げてそれを実践している集団がヨーロッパに、特にウクライナにいるのでしょうか? 

結論から先に言うと答えはイエスです。

これを理解するにはロシアとウクライナの歴史を結構遡って理解する必要があるのですが、複数の国や民族が複雑に入り組んでいることから状況はかなり複雑なものとなっています。

ナチズムの背景

その前にナチズムとは何なのかについてですが、一言で言うと、第2次大戦前にドイツのトップに君臨したヒトラーが掲げた優生学に基づいた民族主義の思想です。

優生学あるいは優生学的思想とは一般的に同じ人間のなかに優れた者と 劣った者が存在するとみなした上で,優れた者の増産と劣った者の淘汰を 目指す考え方です。

日本でも終戦直後に優生保護法ができ、遺伝疾患、精神障碍者、ハンセン病患者などの人々に対し、優生手術、人工中絶手術などで8万人以上の犠牲者がでており、こういった思想と日本は無関係とは言えません。

優生保護法とその犠牲者

元々この優生学はイギリスのフランシス・ゴルトンという学者がダーウィンの進化論に影響を受けて「優良な遺伝形質により人々の質の向上を目指す」という目標のもと世界に広がったと言われています。

とんでもない思想としか思えませんが、私自身はこの思想のきっかけとなったダーウィンの進化論は科学的根拠が全くないインチキ理論だと考えています。

後日その根拠とこれを取り巻く日本以外での見方や傾向などについて「進化論の嘘」といいうテーマで触れる予定です。

さて、ヒトラー率いるドイツはこの考えを人種・種族に当てはめて適用し、ドイツ民族以外の民族、特にユダヤ人種を劣った民族と定義して彼らを地球上から抹殺して、ゲルマン民族の優秀な遺伝子を持った人間のみをこの地球上の唯一の存在としようと、他国を侵略し、ユダヤ人虐殺を行っていきます。

ユダヤ民族だけでなく、ロシアや東欧に住むスラブ系、南欧のラテン系などの白人種、黄色人種、黒人種なども排斥の対象となっているのですが、その最下層のもっとも劣って根絶しなければならないとナチスが捉えていたのがユダヤ人だった、ということですね。

ユダヤ人だけを排斥しようと考えていたわけではない証拠にヒトラーは「我が闘争」のなかでゲルマン民族以外の民族を散々こき下ろし第二次大戦中枢軸同盟を結んだ日本人に関しても「文明を自ら築き上げることが出来ない劣等民族である」と書いています。

ヒトラー本人の父はその母親がオーストリアの裕福なユダヤ人家庭の家政婦で働いている間にそこの当主の息子との間で出来た子供で、従い四分の一はユダヤ人であるといわれているのに、なんとも不思議な話です。

わが闘争

ドイツは結局連合軍に敗れ、ナチスも消滅した訳ですが、ドイツ敗戦後もこういった思想を継承して実践(他民族の浄化)しようとする運動がネオ(=新しい)ナチズム、だという訳です。

さて、ロシア・ウクライナを取り巻く歴史的背景の話になりますが、最初に言っておかなければならないことはこれらの地域の歴史にはユダヤ人が大いに関わっているということです。 

時系列的に以下に追っていきます。

ロシア・ウクライナのルーツとモンゴルの支配

8世紀末に北欧のバイキング由来とされるリューリックと言われる一族が現在のキエフの地にキエフ大公国という国をつくります。この時点ではロシアという国もウクライナという国も存在しておらず、この大公国が両国のルーツとされています。

この公国の領主は地元民であるスラブ人を奴隷のように使い狩猟した動物の毛皮などを公国の南側に存在した東ローマ帝国(首都は現在のイスタンブール)に売りさばくことにより繁栄していましたが、このスラブ (Slav)が英語の奴隷(Slave)となったことはよく知られているとおりです。

その後12世紀に東アジアでモンゴル帝国が勃興してヨーロッパにまで侵攻、13世紀初頭にモンゴルとの闘いに敗れたキエフ大公国は大勢の住民が殺害され、建物なども徹底的に破壊されつくし復興が不可能な状態に陥ります。

ロシアは言うに及ばず、キエフ大公国の領土(現在のウクライナ)のほとんどがモンゴル帝国の支配下に置かれて(この地域ではキプチャク汗国と称される)その領土となり、以後200年に及ぶモンゴルの支配が続くことになります。

この頃やはりモンゴルの侵攻を恐れてウクライナの東方に隣接する地域からユダヤ人が大量に戦争難民となって主に現在の東欧各国に移住し、住み着くことになるのですが、これが後々両国のみならず、中東一体などにとてつもない動乱・紛争・悲劇のタネをばらまくことになります。

そのことはここではこれ以上触れませんが、後日「ユダヤ人とは何者なのか」というテーマの中で説明する予定です。 

事前に言っておくと、このユダヤ人と称される人達、及び現在イスラエルという国に住んでいる大半の人達は民族的・血統的にはユダヤ人ではありません。 

ただ、複雑な両国の関係の説明をさらにややこしくしたくないので、ここでは彼らがユダヤ人だとして話を進めます。

モンゴル支配終焉~帝政ロシアの始まり

さて、モンゴルの支配が200年続いた後帝国の衰退がはじまります。モスクワにはモスクワ大公国というのがあったのですが、モンゴル帝国の手先となって農民などから作物を納めさせて、それを帝国に貢ぐ役割をしていたとされています。

そのモスクワ大公国の領主が勢力の弱った帝国に反旗を翻し両者の武力による衝突が始まり、ウクライナ地方では多数のコサック兵のグループが同様に帝国に戦いを挑み最終的にはキプチャク汗国は同地域から追い出されることになります。

この複数のコサック兵の集団、現代でいうところの民兵組織、とでも呼ぶべきものですが、彼らはウクライナ地方で自発的に発生し、抵抗運動を活発に行っていたようで、北のモスクワあたりではモスクワ大公国の軍隊が、南のウクライナの方ではコサック兵の集団がモンゴル兵を東へ東へと押しやっていったという図式ですね。

この時のウクライナの状況ですが、この反乱が続いていた間にパワーバキューム(権力の空白)の状態が生じ、これ幸いと隣国の国家として既に繁栄していたポーランドとリトアニア連合国が現在のベラルーシの西部の一部とウクライナ地方の西側をちゃっかり侵略し統治するようになります。

ポーランドは当時キリスト教国にしては珍しくヨーロッパ各地で嫌われ、迫害されていたユダヤ人を特別に同国に受け入れて保護し、その頃から既に商才に長けていたユダヤ人がもたらす経済的な恩恵を享受して繁栄したとされています。

ポーランドの国王はベラルーシやウクライナから奪い取った地域で農民などからの搾取をし始めるのですが、この年貢などの徴収に主にユダヤ人を使って行ったことからウクライナ、特に西部ではポーランド憎し、ユダヤ人憎しの風潮が生まれたようですね。

東南アジアなどで英国が地元のマレー人を搾取する際に中間管理職みたいな形で中国南部やインドから連れてきた中国人、インド人たちにその仕事をさせた構図とよく似ています。

現在でもこれら中国人やインド人の末裔がシンガポールとマレーシア
に住んでいます。

こういった国々などではマレー系の人たちは日本の統治に愚痴をこぼす人が殆ど見当たらないのに、中国系の人々はいまだに日本統治を非難して面白く思っていないのが実に対照的です。

非難するどころか、日本がオランダや英国による過酷な植民地政策から解放してくれた、とマレーシアの前首相マハティールは「日本は東南アジアでのことに関してどうして謝罪する必要があるのか?」とまで発言していますが、それが正しい歴史の認識でしょうね。

英国の植民地の統治の仕方は非常にうまい、というかずる賢いというのか、あくどいというのか、英国の悪口は東南アジアでは全く聞かないのが癪に障ります。

話が少しそれましたが、コサック兵は東はモンゴル帝国の残党狩り継続、西の方では新たに浮上したポーランドという敵に対して戦いを挑むことになり、結局現在のウクライナ・ポーランドの国境あたりまでポーランドは押し戻される結果となります。

その際モスクワ大公国と手を組んだことがきっかけでその後ウクライナはロシアの支配下に入るようになります。

しかしながら、ウクライナでのユダヤ人に対する憎しみはそこで和らぐことはなく、更に増幅する事態がその後次から次へと起こります。

ロシア大公国はモンゴルを駆逐したあと帝政ロシアとなり、その後ウクライナのみならず、ポーランドやバルト3国などをその支配下に置くようになりますが、ロシアはほとんどの地域が寒冷地であるため、温暖で穀物の豊かなウクライナの支配を強め農民などからの搾取を強化していきます。

これに不満を示すウクライナ人が増え、その大衆の矛先が帝政ロシアに向かうことを恐れたロシアの秘密警察が「シオン賢者の議定書」という非常に巧妙に作成された偽書を世の中に流布させることに成功します。

ロシア内でも政府に対し圧制などで不満が募っていた為、ロシア・ウクライナ双方の民衆の怒りの矛先を政府からユダヤ人へと向けさせようとした、ということですね。

この本にはユダヤの長老が集まってどうやって世界を支配すべきか、どうやって他の民族から搾取して君臨するか、などが書かれてあり、この本は陰謀論だと思われる方が多数だとしても、日本でも結構その存在が知られている本です。

なお、この本は偽書であったということが後日判明しています。

ウクライナ人によるユダヤ人の迫害は先ほど述べたポーランドとの闘いでユダヤ人が多数殺害されたことをきっかけにその後1821年から始まったオデッサでの虐殺などが起こったのですが、この本の内容がロシアやウクライナに広め伝えられると「ユダヤ人悪いやつらだ」とばかり、ロシア南部やウクライナ全土でユダヤ人迫害が加速し大多数のユダヤ人が犠牲者となっていきました。

このようなユダヤ人迫害虐殺のことをポグロム(ロシア語で破壊、破滅という意味)といいます。

この結果、多数の恐らく裕福なユダヤ人はアメリカやその他の国へ亡命しましたが、特に貧乏なユダヤ人が可哀そうなことに多数犠牲になった、ということでしょうね。

ロシア革命~ソビエト連邦による統治

その後、20世紀初頭にロシアでは革命が起き帝政ロシア最後のロマノフ王朝が倒されて世界初の共産主義国家となるのですが、もともと共産主義の原動力は「資本論」を書いたカール・マルクスという男。

それを実行して革命を起こしたのは、レーニン、トロツキー、あとコミンテルン議長などですが、彼らはことごとく亡命していたユダヤ人です。

ロシア革命に先立ち始まった第一次大戦中にドイツは敵国ロシアを内部からかく乱し弱体化しようと当時スイスに亡命していたレーニンを手助けしてロシアに送り込み革命へと繋がるのですが、そうして誕生したソ連とドイツは第2次大戦で軍事衝突するという皮肉な結果となった、ということも付け加えておきます。

従って、ウクライナから見ればロシア共産党はユダヤであり、憎むべき相手と感じていたとしても不思議ではありませんが、こういった感情を更に増幅させるような出来事がその後起きます。

レーニンによる共産主義革命後、ソ連は帝政ロシアの支配下にあったポーランドやバルト3国などには独立を認めますが、上述したように穀倉地帯のウクライナやベラルーシに対しては一旦独立をみとめるもその後すぐに両国に共産党政府を作らせ、事実上独立を撤回します。

これに不満を募らせソ連に反抗する地域がウクライナに出始めます。

レーニンの後を継いだスターリンはユダヤ系ではなくグルジア出身の男ですが、彼はウクライナ統治を非常に厳しく行い、ソ連邦に反抗的なウクライナの村などを特定して、とても払えない年貢を課し、食糧を全て持ち去り、また封鎖して人々が村から出れないようにし、何百万人ものウクライナ人を餓死させていますが、これはポルドモールと呼ばれています。地獄のような状況だったようです。

この悲劇をソ連はひた隠しに隠して共産主義の素晴らしいことだけを映像などで全世界に喧伝していたのですが、1991年のソ連崩壊後このとてつもない悲劇が明るみにされ、これを調査したジャーナリストの実話に基づき[赤い闇スターリンの冷たい台地で]という題名で2020年には映画化されたりしています。

日本ではこのことが世界史の教科書に載ることは今日にいたるまで一切なく、おそらく、教育界、特に教科書を作成する人達には共産主義礼賛者が多いことから共産主義の暗部を書きたくなかったのだろうと、言われているのですが、そう疑われてもしょうがないですね。

この悲劇が明らかにされて以降ウクライナではスターリンがユダヤ人でないにも拘わらず、ますますユダヤ人、及びロシア人に対して憎しみを抱くようになった人達が増えたであろうことは想像に難くありません。

第二次大戦時ドイツ軍がポーランドやウクライナに侵攻した際、ウクライナでは多くの人がまるで解放軍がやってきた、とばかりに「ハイル・ヒトラー」とナチス風の敬礼でドイツ軍を迎えドイツ軍も戸惑うほどの熱烈な歓迎ぶりだったと言われています。

おまけにナチスがドイツなどでおこなったユダヤ人連行についてもユダヤ人の家を特定してドイツ軍に教えたり、と大喜びでユダヤ人の強制収容所送りを手伝ったり、自らユダヤ人虐殺に加わったとされています。

第2次大戦~現在

第2次大戦は連合軍の勝利で終わり1991年のソ連崩壊まで世界は米国を中心とした自由主義・市場経済の西側諸国とソ連を中心とする共産主義・国家主導の計画経済に分断され、両陣営間の冷戦が始まります。

ウクライナは国家としての体裁はあったものの、事実上ソ連邦に組み入れられています。

ただ、この地域はロシアのもの、この地域はウクライナのもの、という認識はあったようで、そのウクライナ内の領土に後々両国間の大きな火種になる事が起きます。

もともと、ウクライナ東部ドンバス地方や南のオデッサ、クリミア半島はロシア人が入植して出来た地域ですが、クリミアについては帝政ロシア時代から黒海への出口として黒海艦隊をおいてきたロシアの領土でした。

ところが、1953年書記長に就任したフルシチョフはクリミアをウクライナへプレセントとして譲渡、本人がロシア系ながらウクライナ出身であることとか、ウクライナのロシアに対する不満を和らげる為だった、とか言われています。

ただ、ロシアとしては黒海艦隊を直接管理する必要があるため、ウクライナからロシアへのレンタルという形を取り、現在に至っているのですが、その後の現状はご存じのとおりです。

譲渡時にはロシアもウクライナも同じソ連邦の一員だったので、特に問題
視されることはなかったのですが・・・。

ネオナチ集団の起源

さて、ネオナチと言われる運動・集団は地理的にはウクライナの西の端ポーランドと国境を接している、リビィウという都市のあるガリツィアと呼ばれる地方から始まります。

ロシア革命後まもなくしてソ連とポーランドの戦争が始まり、1912 – 1921年の間続くのですが、この戦争でソビエト共産党軍は敗北し、ポーランドにベラルーシの半分とウクライナのガリツィア地方を占領されることになります。

ポーランドが以前占領していたこれらの地域を取り戻したいという野望から戦争が始まったとされています。

こういった状況の中でガリツィア地方ではポーランドに対する抵抗運動が沸き上がり、ステパン・バンデラという男をリーダーとする過激な抵抗集団が結成されポーランド政府の高官を暗殺するなどのテロ行為を行っています。

TikTok、ツイッター、YouTubeなどでアゾフ大隊の写真や動画などで、ドイツナチス風の鉤十字(ハーケンクロイツ)そっくりな模様をあしらった旗の傍らに男性の写真が掲げられていますが、彼がその男です。

ナチスドイツはポーランドを侵略してポーランド国家を消滅させた後彼のグループに接近、今度は一緒にロシア共産党と戦おうという約束を交わし、ポーランドに対する抵抗運動はロシアに対する抵抗運動へと変わっていきます。

彼はドイツ侵攻でポーランド及びロシアからの支配のなくなると、ウクライナの独立宣言をしますが、ドイツはそんなつもりなど最初からなく、彼を逮捕、ドイツ国内の強制収容所へ監禁しています。

獄中からもガリツィアの同士・部下などとコンタクトを続けていたようですが、彼の意思を継ぐグループがネオナチ集団とされるアゾフ大隊などのルーツとなっているようですね。

その後ソ連が連合軍として勝利し、再びウクライナやポーランドなどがソ連の支配下に入る訳ですが、ガリツィア地方では大戦後も相当長い間にわたり、ソ連に反抗する抵抗運動が続きました。

米ソ冷戦の真っただ中でこういった勢力に武器や資金を提供していたのは米国CIAです。米国は中近東でも似たようなことを沢山やってきています。

そして冷戦終結後もアメリカはNATO拡大、ウクライナでのクーデターなどを画策してきたことは今では広く知れ渡っていますが、アゾフ大隊がマイダン革命時の一般住民の殺害や、マイダン革命以降ウクライナ東部でのロシア系住民虐殺などに関わったのは明らかな事実となっています。

ユダヤ人が大勢ロシアやウクライナなどにやってきて住み着いたということは既に述べたとおりですが、彼らはソ連崩壊の混乱期に国家の資産(エネルギー会社やその他の国営企業の所有権など)を安価で手に入れ大金持ちとなっていきます。

これをオリガルヒ(新興財閥)といいますが、彼らがアメリカのウオール街の勢力と結びついていることを嫌がったプーチンが悉く国有化などで彼らから資産没収や国外追放を行い、ロシア国内から一掃します。

ウクライナ国内ではオリガルヒは生き延びゼレンスキー大統領のスポンサーと言われるコモロスキー財閥などはその典型例ですが、彼らの権益を守り、またロシア弱体化で彼らが失ったロシアオリガルヒの権益を取り戻そうとウオール街出身のジョージ・ソロスがマイダン革命やドンバス攻撃などに資金提供をしたことは周知の事実です(メディアであからさまにそのことを語っています)。

その後、アメリカが国としてCIAを通じてこういったことに関わることになるのですが、その中心人物、国務省長官ブリンケン、死神女ヌーランドは先祖がウクライナ出身のユダヤ人、ジョージ・ソロスはハンガリー出身のユダヤ人です。

尚、現在アゾフ大隊の実態はマフィア、ごろつき、あるいはサッカーなどのフーリガンなどがそのメンバーとなっており、子供達へのロシア劣等民族、滅ぼしてしまえ、などの洗脳教育をしているところなどが、先ほど挙げた動画やTikTokなどで投稿されたりしています。

最後に:ネオナチの実態とそれを取り巻く皮肉な状況

当初ポーランド、帝政ロシアその後ソ連に対する抵抗運動の一部として反ユダヤという要素が絡んでいたことは事実のようですが、現在のアゾフ大隊などの言動などを見ていると、反ロシアという要素が全面に出ており、反ユダヤという要素はあまり聴こえてきません。

ロシアから見ればこれら暴力集団の出自はステパン・バンデラであり、彼はロシア打倒の為ナチスと組んだネオナチだ、となるし、ウクライナ側から見れば彼はドイツに裏切られて以降ソ連ともナチスとも戦った愛国者に過ぎないとなるのでしょうが、それでは、彼らはネオナチ集団ではないのでしょうか? 私はそうは思いません。

ナチズムとは自分たち以外の民族はユダヤ人を含め劣等民族で、彼らを抹殺しなければならない、というのがコアとなる思想です。

現在、主にロシア人抹殺を唱えてはいるものの、ユダヤ人を特にターゲットにしている訳ではないからネオナチではない、とは言えないでしょうね。 

明らかにナチズムの思想の流れを汲んでおり、だからこそナチスドイツ風の鉤十字の旗を掲げ、啓礼の仕方を真似ているとしか思えません。

現にドイツや東欧諸国などでは、特に近年夥しいアフリカや中東からの移民を排除しようという動きが多々見られ(勿論少数グループですが)、彼らをネオナチ、そういった行動はネオナチズムと称されています。

皮肉なことに、ネオナチと言われている彼らに武器を供与し、資金を提供しているのは悉くユダヤ系の人たちです。

アゾフ大隊はユダヤ人もその排除の対象として考えているが、今はロシア人が優先で、おまけにスポンサーがユダヤ人だから、その主張は今は封印しておこうと考えているのか・・・謎ですね。ちなみにゼレンスキーもユダヤ人
だと言われています。

既に述べたように帝政ロシアも共産主義ロシアもウクライナに対して途轍もない極悪非道の酷い仕打ちをしてきており、私はウクライナに対する深い同情を禁じえませんが、だからといって、現在の紛争でウクライナ可哀そう、ウクライナの味方をする、ということをすべきだとはとても思えません。

前回も触れたように、何の関係もない他人同士の喧嘩に日本は首を突っ込むことをせず中立を保つというのが日本の国益上ベストの外交だと思われるのですが・・・・・。

それが出来ない理由については次回の「日本を支配している存在」というテーマの中で触れることにします。


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