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さくらボウル 最後の3プレーが不必要とされる理由

さくらボウル2021に関して、追記しておきます。

武庫女大が26-6とリードした第4Q、残り時間16秒、敵陣12yds付近で攻撃権を得た武庫女大オフェンスは、ニーダウンせずに3度攻撃しました。

私は、選手の気持ちも理解できるものの、こうした場合に、観客の「居心地の悪さ」はどこから来るのか、その理由を①から④まで述べます。

①残念ですが、勝敗に何ら影響を与えないと分かっている攻撃は、フェアプレーといえないであろう。アメフト的なスマートさ(限られた時間の中での勝利可能性の最大化)もなく、フットボール的にはリスペクトされない判断になるであろうこと。

②ルールで禁じられていないこと、反則でなければ何をしてもいい、という考え方は、「相手、ルール、審判、を正しく尊重する」というスポーツの公共プラットホームを毀損する行為につながるであろうこと。

③スポーツは、グッド・ソサイエティにつながる「グッドゲーム」を全員が努力して作り出すために「公共心」と「自制心」を必要とし、そのスポーツをすることで、何を成し遂げたいのか、再考する必要があろうこと。

④ビクトリーフォーメーションは、以上の理由から、ゲームを私物化しない、自己中心を自制するという「ゲームをリスペクトするひとつの形式」であり、練習で教えられなかった、だけでは残念に思われること。

⑤最後の試合だからこそ、という気持ちは分かるものの、日本選手権の勝者は、これまでに敗れた(今年に関しては、試合の機会すらなかった)すべての地区のすべての選手のかかわりに対する責任をもつ存在になると考えられます。

チームメイトへの思いは、その中でどこまで優先されるべきなのか。これは、個人のモラルでは解けない、スポーツの美徳の観点からの熟慮が必要です。

さて、大学生選手の皆さんは、以上の考えに、自由な意見をもち、とくにスポーツ学科の学生さんには大いに知的な反証をしてほしいと思います。

タッチ&フラッグフットボールのスポーツ哲学はまだ定まっていません。それを若い方々が先例には縛られずに、しかし、これまでのスポーツ文化を尊重して、新しい文化をみんなで積み重ねられればいいですね。

コーチの方々も、フットボール文化、スポーツ文化を広く参照して、ビクトリーフォーメーションの練習をし、なぜこれが必要なのかを分かりやすく説明し、内容に理解を得て、その上で、選手の判断に委ねられるようにしてください。

以上です。

※後日、関係者からの事情を聞き取り、要望に応じて文章を2行削除いたしました。
また、関係者との話し合いから、筆者の述べたいことを明確に示すためにタイトルと、ヘッダ画像を変更しました。

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