【大怪我からの復活】6度の手術を乗り越えた"不屈のドラマー斎藤佑太"
札幌を拠点に活動する、感情系スリーピースロックバンド「TASOGARE」でドラムを担当する斎藤佑太。
ライブハウスのステージに立つ彼の右手をよく見ると、ドラムスティックに見慣れない器具が付いている。
実は斎藤、過去に右手が裂けるほどの大怪我を負い、6度の手術を乗り越え、今もなお後遺症が残る。
SNSのフォロワーは1万人を超え、モデル活動も行うなど、華々しくみえる斎藤だが、これまでの歩みは順風満帆ではなかった。
「完全復活を目指して、まだ諦めていない」と語る斎藤が、伝えたいメッセージと不屈の精神の源について聞いた。
1331日の闘い
2021年4月26日。
これまで6度の手術を乗り越え、その度に入院と過酷なリハビリを乗り越えてきた。
しかしその日、これ以上症状の改善が見込めない状態である「症状固定」を言い渡された。
それは同時に1331日にも及ぶ治療の終わりを意味する。
まだ麻痺や可動域制限は残っている。
それでも、治療の必要性がなくなったと判断される「症状固定」後は、労災からの給付も受けられなくなる。
完全復活を遂げぬまま、恐れていたゴールを遂に迎えてしまった。
ドラムを奪われた日
18歳から大工の道に進み、職人としての階段を駆け上がっている真っ只中の事故だった。
当時まだ24歳だった2017年9月。
高所の足場で作業中、バランスを崩した。「落ちまい!」と、とっさに手を伸ばした先にあった金具が手に刺さり、手を引き裂きながら転落した。
緊急搬送され、手術は約10時間にも及んだ。
「完治はありません」「麻痺が残ります」
手術後、執刀医から告げられた言葉は今でも忘れない。
それは、斎藤にとって「大工もドラムも厳しい」と言われたようなものだ。
言葉の意味を理解するのには少し時間が掛かった。
「腱だとか神経がどうとか詳しい説明を聞いても何のことかよくわからなかったですね。その時は『縫えば治るでしょ?』としか思えませんでした。しかも包帯でグルグルに固定されていて、自分でも状態が分からなかったので、どこかで『動くやろ』と思っていたし、信じたくありませんでした」
初めて固定が取れたその日、リハビリ室で冷や汗をかいた。
指が動かない。触れられても何も感じない。感覚がない。
作業療法士によって様々な検査が行われていく中で、現実を突きつけられていった。
信じたくなかったものに気づいてしまった時のショックは計り知れない。
仲間の存在
箸を持てない。字が書けない。物を掴めない。
今まで当たり前に出来ていたことが出来ず、どこにもぶつけようがないストレスもあったという。
そのショックやストレスを上回るほどの愛をくれたのが仲間だった。
当時のバンド仲間から贈られたドラムヘッドには「ライブハウスに戻ってこい!」の文字。
そのメッセージが「ドラムだけは諦めたくない。絶対ドラムを叩く」と思わせてくれた。
リハビリでの目標は「箸が使える」「字を書ける」、そして「ドラムを叩ける」だ。
痛々しい傷跡が残る右手は、自身の力では動かせない。作業療法士によって曲げ伸ばしの訓練を行えば激痛が走る。
そんな過酷なリハビリにも耐えながら2回目の手術を終え、怪我から約9ヶ月経ったある日。
大切な友達の結婚式で怪我後、初めてドラムを両手で叩いた。
リハビリも積んできた中であったものの、思っていたより叩けず当時の限界を知った。
「あくまで『ライブハウスのステージで両手で叩くこと』がゴールだったので、通過点くらいにしか思っていませんでした。喜んでもらえたことは嬉しかったし、両手で叩けたことは感動しましたが、納得はしなかったですね。むしろ更に頑張ろうと思いました」
絶望的ともいえる状況から奮い立たせてくれたのは、仲間とドラムの存在だった。
片手のドラマー
肋骨から中指への骨移植を行なった3回目の手術後、左手のみでドラムを叩いた動画を遊びでSNSに投稿したところ、1000近くのいいねがついた。
それまでは友達に経過報告する程度のSNSだったが、「片手ですごい!」「怪我してるのにすごい!」「片手のドラマーだ!」と、そんなコメントで溢れた。
その時の心境を聞くと、斎藤から返ってきたのは意外な言葉だった。
「『片手のドラマー』と言われるのは正直イヤでしたね(苦笑)。片手でも叩いてやるというよりは、両手で叩くというのが僕のゴールだったので。でもそれがあったからこそ、より強く『両手で叩くんだ』と闘志を燃やすキッカケにもなりました」
その投稿を機に徐々にフォロワーも増え、約2000人のタイミングで今までの経過・現状をまとめた動画を上げた。
それまではただの”骨折兄ちゃん”だと思われていたが、怪我を公表したことにより更に反響を呼ぶことになる。
SNSの発信にも力を入れるようになると、多くの人に知ってもらったことで、想像もできないような出逢いもあった。
世界的サックス奏者の元晴(モトハル)さんがツアーの合間に病院まで来てくれたのだ。
そこで「絶対にセッションしような」と約束を交わし、怪我から約1年2ヶ月経った2018年11月11日、斎藤はライブハウスのステージに再び立った。
「楽屋では色んな感情が込み上げてきて涙が止まりませんでした。なんとか落ち着いてステージに立ったもののMCでは泣いてしまって(笑)。一つの目標にしていたライブハウスで叩くということは達成できましたが、復活というには程遠く、スタートでありゴールという感覚でした」
その後、元々ファンだったYouTuber「ジョーブログ」が主催するオーディションに参加するために初めて1人で飛行機に乗るなど、より前向きで行動的になっていった。
今では親友ともいえる存在のジョーブログは、斎藤の環境を大きく変えてくれた一人だ。
発信を続けていくと次第に応援してくれる人も増えていき、中には斎藤の逆境に負けず努力する姿に勇気をもらったという人も現れるなど、かつての「片手のドラマー」は誰かの希望になっていた。
運命の出会い
しかし努力したからといって回復してくれるような単純な怪我ではなく、気持ちとは裏腹に焦っていた時期もあった。
同じようにもどかしさを感じていたのは斎藤だけではない。
リハビリ担当の作業療法士(OT)は、前職場の医師に相談していた。
時を同じくして、担当である下肢専門の医師も、週に一度非常勤で務める病院の医師に相談していた。
そしてなんと、OTと医師が助けを求めた医師とは、まさかの同一人物だった。
奇跡のような巡り合わせだ。
医療チーム全体が斎藤のために動いてくれていた。
おかげで病院間の連携はスムーズに進み、その医師の元でお世話になることになった。
まずその医師は左手で食事をする斎藤をみて「左手に逃げちゃだめだ。右手を使えるようにしたいんだろ?」と眼に力を込めて言った。
この人のもとで諦めず頑張ろう。
引き寄せられるようにして出逢ったその医師との新たな闘いがはじまった。
TASOGARE結成
斎藤の復帰の目処が立たないということで元々組んでいたバンドが解散となった。
そんな最中メンバーと出会い、TASOGAREを結成した。
当時は今使用している装具(GigGrips)もなく、ドラムを叩いていると握力の低下と共にスティックが落ちてしまうため、ライブはできない。
それならば「今できることをやろう!」と、まず曲とMVをがむしゃらに創った。
そして1st single「センセンフコク」をリリースすると共に、収録曲の「ロンリー」のMVを突如公開した。
そのMVで斎藤が両手でドラムを叩いている姿が反響を呼んだ。
ステージ復帰
怪我から2年が経とうとしていた、2019年8月3日。
親友ジョーブログが主催するイベントのステージに斎藤は立っていた。
「ロックバンドのドラマー斎藤佑太」としてライブハウスのステージに帰ってきた。
「自分が再びステージに立っている姿を届けたい」と、長く辛いリハビリにも耐えてきた。
色んなことが蘇る。
「あの頃の自分に言ってやりたい。諦めなければまたステージに立てるよって!!」
TASOGARE初ライブにも関わらず今まで応援してくれた多くの仲間が駆けつけてくれたライブ。
そのステージからの景色に目頭が熱くなった。
より多くの人に知ってもらうために
1st single「ロンリーは」チバテレビで2020年7月〜9月にかけて放送されたアニメ「届け!FM83〇!マンデーナイトシンフォニー!」のオープニング曲として起用されたこともあり話題となった。
2021年7月に発表した、TASOGAREの4th Single「雨上がり」は、なんとiTunesパンクチャートで日本1位を獲得した。
今はメンバーの諸事情でTASOGAREとして3人での活動は休止中だが、斎藤個人としての活動は歩みを止めていない。
親友ジョーブログのカメラマンを務めた動画は、今現在140万回再生を越え、音楽系メディア「音楽ナタリー」にも取り上げられている。
この動画のコメント欄には斎藤へ対するコメントも多く、動画内の優しい声かけと共にあたたかい人柄がうかがえる。
また、ジョーブログの楽曲「挑戦」を元にドキュメンタリー動画も制作した。
そして生配信アプリ「LINE LIVE」では、様々なオーディションで勝ち抜き、VANSやヘッドホンメーカーSkullcandyの広告モデル、公式アンバサダーも務める。
また、「GReeeeN」をはじめとする多数のアーティストや有名人とのコラボも果たしてきた。
実はこのLINE LIVEは、手のリハビリとドラムを叩くためのトレーニングを配信するために始めたものであり、3年間毎日配信も達成している。
”継続は力なり”というが、その言葉をまさに斎藤が体現している。
不屈の精神
今年の誕生日で30歳を迎える斎藤。
怪我から5年以上が経った現在も、手の半分は感覚がなく痺れている。
字を書くのもやっとだ。
まだ「完全復活」とはいえていない。
ステージに立つ斎藤にとっての完全復活とは、麻痺や痺れなどの後遺症がない状態でドラムを叩くことだ。
こんなにも長くに渡ってリハビリをしてきたのに「なんで…」と、悔しさもある。
それでも斎藤が頑張れているのは「たくさんの人に音楽を届けたい」「もっと大きなステージに立ちたい」「全国ツアーを回りたい」、こんな夢や想いがあるからだ。
そして何よりたくさんの人々の前でドラムを叩ける楽しさを知っているからだ。
今後も少しでも改善する可能性があるなら、7度目の手術も厭わない覚悟だという。
「誰かのヒーローになりたい」と語る斎藤に、同じように怪我で苦しむ人々に伝えたいメッセージを聞いた。
「皮肉かもしれないけど、僕は怪我があったから仲間とドラムの大切さにも気付けた。リハビリも一日や二日では何も変わらないかもしれない。その時は辛いかもしれないけど、『諦めない心』『腐らない』を持って、根気強くやっていれば一歩前進できる。僕もまだ道半ばだけど、必ず前に進めると信じてる。だからみんなも諦めないでほしい」
そう語る斎藤は既に人々に勇気や希望を与える存在になっている。
不屈の精神を胸に、斎藤の闘いはまだ終わっていない。
#右正中神経・指神経 (母指ー中指)損傷
#右FPL・FDS (2)・FCR腱断裂
#右母指対立不全
#右示指屈筋腱癒着
#右中指PIP関節拘縮・瘢痕拘縮
#右中指PIP関節外症後関節症
サポートして頂いたその優しさは、他の誰かのサポートに使わせていただきます!