敵キャラって重要
今年のアメリカ大統領選挙は本当に目が離せない。こんなにドラマチックな選挙戦はないだろう。別に政治に興味がない人でも見入ってしまうのではないだろうか。しかも、同盟国とはいえ、他国の選挙だ。
日本人には直接関係のないように感じる世界。でも、どうしてこんなにも興味深く見入ってしまうのか?
それは、政敵がはっきりとしているからだ。
敵がはっきりとしているから、観ている方もわかりやすい。
ここ数年、トランプ支持する人たち年々増えてきているのをずっとみてきた。しかし、先日バイデン大統領が大統領選の出馬をやめ、カマラ・ハリス副大統領が候補に名乗り出る。そして、現時点での日本のメディアではカマラ・ハリスがトランプを逆転し、支持率が上がり優勢だと報じ続けている。(実際はトランプの方がリードしている。アメリカの数ある世論調査の中でハリスが優勢になっている調査だけを大々的に報道しているだけ。全ての世論調査の平均をとるとトランプの支持率のほうが高くなっている。メディア情報操作でよくやる手口。)
今回は一体どんな選挙戦になるのか目が離せない。
まあ、アメリカの大統領選挙は毎度のことながら盛り上がる。まるでプロレス観戦をしているかのようだ。
そこにはどちらかをどうしても応援したくなるような「物語」が存在している。
「物語」を創作することを長い間してきている私として思うことがある。多くの人がわかりやすいと感じてもらえる話や、ワクワクするような話にはやっぱり魅力的な「敵キャラ」がいるということだ。多くのハリウッド映画はこの魅力的な敵キャラを作るのが上手い。善悪二元論はもっともわかりやすい物語の構図だ。基本的に物語の終わりは敵を倒してハッピーエンドだ。観ていてスッキリできる。
一方、敵がいない物語もある。淡々としていて、何かがはっきりとすることもあまりない。大抵の場合、主人公の成長物語であることが多いけれど、そうでもないこともある。例えば、「男はつらいよ」の寅さんの話。敵という敵が出てこない。寅さんの恋が実ることもなく、何か成長があったかというとそうでもない。強いていえば、出演者の俳優さんたちが歳をとり成長していることくらいか。それでも長い間、日本国民に愛され続けている物語だ。日本らしいといえば日本らしい。
このような物語の違いは政治の形態にも同じことが言えないだろうか。アメリカなどの政治は善悪二元論的な形で行われ、日本の政治は誰も敵になることがなく、誰も責任を取ることがない政治。
アメリカの政治は誰かが勝って、誰かが負ける。とてもシンプルだ。こういうタイプの物語は進行スピードが速く、物事が先に進みやすい。
一方、日本のように誰も責任を取らない勝ち負けがはっきりしない物語は物事が先に進まない。世界はどんどん話が進むのに対して、日本はいつも周回遅れなことを議論していることが多々ある。
ただ、どちらがいいのかは話は別だ。どうしても何かを前に進めたいなら敵を作って、その敵を倒すためにみんなで一致団結する。そうすれば次に行ける。
しかし、人の生命や健康に関わるようなことは慎重に議論をかさねてからでないとならないはずだ。ビジネスの世界はスピードが命だ。だが、お金になるからといって、たいした議論も進めず、それらしい敵をでっち上げ、無理矢理法案を通してしまう。結果、取り返しのつかない人災や薬害を起こしてしまうこともある。
民主主義であるのであれば、やっぱり、とことん議論するべきだと、私は思う。
とは言うものの、日本の政治にももう少し魅力的な「敵キャラ」がいてもいいとは思うのだが・・・皆さんはどう思うだろうか?