茅ヶ崎に来てまず始めた事。その1
湘南に移住して丸6年が経つ。
茅ヶ崎に住み始め、浜辺でのんびりと海を眺めていると、なぜか「ええ感じ」の流木が目に入るようになった。
何か目的がある訳でも無かったが、気に入った形の手の平サイズの流木を1本、1本と集めていると、「ええ感じ」の流木はそうそう滅多に落ちていない事に気がついた。
皆さんは流木と言えば、オシャレな雑貨屋さんに置いてあるような個性的で魅力的な形をした流木を思い浮かべると思う。
アメリカ西海岸風インテリアの端っこにさり気無く置かれている、エアープランツと組み合わされたシャレシャレなあの流木。
いざ探し出すと、あのシャレた感じの流木が全然落ちていないのだ。
いや、流木は沢山落ちている。
しかしそれは、ただの木の棒と言った方が早く、折角流れ着いてくれた流木には申し訳ないが非常に魅力を感じる事が出来ない、流木モドキ、流木(仮)、流木風流木、ジェネリック流木、と言わざるを得ない物体ばかりだ。
部屋に飾れば、何でこんな所にゴミ置いてんの?と言われても不思議ではない、悲しき流木達。
砂浜に打ち上げられている流木は、そのほとんどが見向きもされない流木である。
しかし、そんな中に本当にたまにキラリと光る流木が紛れているのだ。
僕は気がつくと、取り憑かれたように「ええ感じ」の流木を探し漁った。
ある日の事、浜辺に行った僕は自分の目を疑った。
大量に、本当に大量に「ええ感じ」の流木が流れ着いているではないか。
しかもサイズがかなりデカい。
「コレはドッキリなのでは?」
と、どこにも誰にも需要が全く無いセリフが口から溢れる。
あんなに必死に探しても全く見つからない「ええ感じ」の流木が、砂浜一面に落ちているのだ。
コレは神様からのプレゼントか?
僕は砂浜で大きく両手を広げて天を仰いだ。
台風一過のよく晴れた日であった。
後で気付く事になるのだが、もちろん神様のプレゼントやドッキリな訳がない。
台風である。
台風が来る度に、大量にゴミと共に流木も海岸に流れ着いているのだ。
海岸清掃の業者さんやボランティアの方々がいつも綺麗に片付けてくれていたのだ。
それを知らない僕は、宝の山を目にしたトレジャーハンターのように興奮していた。
そして、その宝の山の中でも一際目立つ、まるでヤマタノオロチのようなウネウネとした2メートルは超えているであろう「ええ感じ」な流木を無理矢理自転車に積み込んで帰宅した。
海は広くて大きい。
海で見る流木は部屋のインテリアに丁度良く感じる。
家に帰って流木を見る。
流木がデカすぎて、部屋のインテリアどころか、部屋が流木専用置き場に変身する。
あれと一緒だ。
IKEAだ。
IKEAで見た家具で夢を膨らまして、買って設置した途端、IKEAのように開放的ではない空間に気づくアレと全く一緒。
そして、所有者の居なかった流木は拾った途端にその人の所有物になる。
海から拾って持って帰って来た物を元に戻すという事は不法投棄に値するのである。
流木にクーリングオフ期間は設けられていないのだ。
結局、置き場がなくなった流木は風情も何も感じられない家の外の横側空いたスペースに無理矢理置き、しばらく放置した後はお金を払って粗大ゴミとして引き取ってもらったのであった。
何をやっているのか自分でも情けない。
その2に続く。