ショートショート 11,遅れた時計
駅の時計が5分遅れていることに気がついたのは、待てど待てど電車が来なかったからだ。
初めての場所で起こる異常事態。閑散とした駅のホーム。白線の前で生き急いでいた自分が馬鹿馬鹿しく妙な焦りと苛立ちを覚えた。
チッと舌先で短い音を鳴らし、聞いていた曲を変えようとポケットに手を入れた時、後ろから不思議な温もりがこもった声が聞こえた。
「あの時計、昔からずっと5分遅れてるんですよ。」
話しかけてきたのは、こざっぱりとしたスーツを着た細身の男性。左手で杖をつく彼は、穏やかな表情を浮かべ古びた時計を見上げていた。
「でもあれはわざと遅らせてあるんです。時間に縛られないようにね。」
「わざと……?」
「この駅はね、誰も急いでいない駅なのです。時間を少し遅らせて、皆に余裕を与える場所。ほんの5分だけでも人生を見つめ直して、ゆったりと生きて欲しいという願いが込められているのです。」
何を言ってるんだと声のする方へと振り返ると、そこには誰もおらず、古びた駅の時計が正しい時間を指して、錆びた歯車をギギギと無理矢理回すかのように動いていた。
スマホを取り出そうと突っ込んだポケットから、ゆっくり手を引き抜き、閉ざしていた自身の世界をゆっくりと開く。
次の電車は見送ろう。少しゆっくりと自分だけの時間を過ごしてみたくなって。
目が覚めると、見知らぬ天井を見上げた僕の腕を母が強く握り泣きじゃくっていた。