映画「解放区」を母の目線でそっとみる。
好きな句をスクラップしています。
2010年6月の一句。
この句から読み取れるのは、
もう社会人になっているのに「あの子、何食べてんねやろか〜」つて子どものお昼ごはんのこと気にかけてる親のさま。
ほのぼのとして実によき。
長谷川櫂先生の寸評もええやろ?
先日
「子どもの何が心配かって、成績なんかではなく、ちゃんとごはん食べてるかってこと。これは息子がどんなオッサンになっても変わらんだろう」ってことをSNSに書きました。
というのは、ある朝、こういうことがあったから。
その時のリアルLINE画像をご紹介いたします。
左=長男(高3)、右=私
下記公開、長男には内緒↓↓↓ バレても別にかまへん。
弁当を忘れた不届き者(しかも謝罪の一言もなしよ!)に、
聖母のごとき対応の私である。
もちろん内心は
「なんしとんねんこらボケ」
なわけだが、ここで私が怒りをぶつけていないのは、過去にLINEで喧嘩やらかした時、あとで読み返してほんま胸糞悪かったから。
いかなる喧嘩も形跡残すなかれ。
ただ行間に、歯を食いしばって怒りに耐えてる私のさまを汲みとっていただければ幸いである。
続きましてこちらをご紹介します。↓↓↓
この画面から読み取れることは
年がら年中
私というやつが子どもにごはんをお知らせしているさま。
それと
6月15日の夕方、
ゲリラ豪雨が降ったさま。
※3枚目の画像参照な。
子どものごはんを気にかけるシリーズと言えば(なんやそのシリーズ)、
角田光代さん原作の「八日目の蝉」を思い出す。
映画にもドラマにもなりましたね。
私は檀れいさんのドラマバージョンのが好きやったけど。
あのラストシーンはどっちも良かったなあ。
不倫相手の子どもを誘拐し我が子として育てながら逃亡生活を続ける主人公・希和子。子どもは希和子を本当の母親と思って育ち、2人の間は親子の確かな絆で結ばれているのだが、ついに希和子は誘拐犯として逮捕されることになる。
連行されながら、他の刑事に保護されていく子を決死の表情で振り返り希和子がいうセリフ。
「その子はまだ……ご飯を食べていません!」
自分が逮捕される瞬間にも子どものごはんのことを心配する希和子にもう
泣ぐ。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
おんおんと
泣ぐ。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
もう、揺るぎない母性が炸裂しとるのよ。素晴らしい作品。
「八日目の蟬」観てない人、観てね。
それから思い出すのが
伊丹十三監督の映画「タンポポ」。
瀕死のお母さんが家族にチャーハンを作ってから事切れるシーン。電車の音が鳴り響く小さなアパートの一室で、お母さんの亡骸の横で父親と幼い子どもたちが泣きじゃくりながら最期のチャーハンをかっ込むところ、
泣ぐ。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
おんおんと
泣ぐ。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
ほんでちょっと
笑う。
死生観の深い部分を伊丹十三監督が絶妙なユーモアで揺さぶってきて、嗚咽しながらも「ふふ」ってなっちゃうの。すんごい映画。
「タンポポ」観てない人、観てね。
映画といえば先日、
太田信吾監督の「解放区」を観てきました。
Twitterにあげた記事。↓
たくさんの方がいろんな角度から話題にされておりますが、
私がごっつ反応してもたんは、オープニングから描かれる、ある家庭の風景でした。
映像制作会社で働く主人公の青年スヤマは、引きこもりの息子を抱えた家庭に取材クルーの一員として訪れます。
その応対をするのがこの家の母親なんですが、私は、一瞬で彼女の空気感にやられてしまった。
引きこもりを抱える母親って、なんというかボロボロに疲れ果てて悲壮感に満ちてるみたいな一般的なイメージあるかもやけど、そんなんと全く違ってて、「そうそう、そういうことやんな!」って膝打ちまくる、実に説得力のある演技だったのです。
このお母さん役、だれなん?
パンフ買ぉてさっそく確認したやで。
名前は、本山純子さん。
ちょっとみんな、
あのお母さん役、本山純子さんていわはんねんで。
めちゃめちゃ良かってんで。
ってことを伝えたくて書いたのがこちら↓↓↓
なにやら勝手に捧げてしもてる私。
そしたらなんと、なんとよ
太田監督から直々にリプをいただいたのです。
ほんまにもう、どないにびっくりしたことか!!
自分自身の記念碑として
ここに改めてご紹介させていただきます。
これ夢でねか?
監督によると、あの引きこもりの長男ヒロシを演じていた本山大さんと本山純子さんは実の母子ということでありました。
この映画、表も裏もすごいことになっているなと改めて思う。
でね、そのヒロシには弟がおって。
こちらはちゃんと社会生活を送っているんです。
ある夜、仕事から疲れて帰って来た弟が、今日も日がな一日ごろついていたであろう兄ヒロシにブチキレて、
「こるぁぁぁ!ええ加減にせえよ!タダ飯食いやがってお前は!俺がどんだけ家に金入れてると思とんねや!」(てことを東京弁で)
と怒鳴り込んでくるシーンがある。
壁に空いた穴。
この穴が、引きこもりという病魔を抱えた家族のやり場のない鬱屈、苛立ち、絶望…そして過去何度となく繰り返されたであろう兄弟の修羅場を物語っていて、観ていて胸塞がれる場面なんです。
そして、
うちの家族はいつからどうしてこんなことになってしまったのか?
いったいこの状態がいつまで続くのか?
そんな答えの出ない思いを抱きしめて
きっと兄弟の板挟みになりながら
この、どうしようもなく澱んだ空気の中で
長い長い年月を暮らしてきたであろう
母親のえげつないリアル感に圧倒されるのです。
母親役:本山純子さん。
↑また名前言う。めっちゃ好きなってもてるやん。
で。
純子さん演じる母親の台詞で、とてもさりげなかったんだけど心に残る一言があったのです。
夕食の支度中、台所に入ってきたヒロシに彼女が
「ごはん食べる?」
って聞くんです。
ハッとした。
やっぱり母親はごはんのこと聞くやんなって。
ほんで、作るやんなって。
働いてる息子にも、働いてない息子にも同じように。
いや、そら、このお母さんかて過去に何べんかは
「あんた、働かへんねやったら、もうごはんナシな!」
ってブチキレでヒロシの分だけ作ったらへん日もあったかもせんけど
やっぱりそこ気にかけている。
それを母性といってしまうとちょっとウェッティーすぎて作品の持ち味とのバランス悪なりそやけどこの一言で私はよりいっそう彼女の心に寄り添わずにはいられなかった。
例えば、ある日、子どもが学校とか職場に行けくなった時。
多くの母親がまずすることは何だろうか。
それは
自分を責めること。
私が悪かったんかなって。
もしかして、あの時の自分のあの一言が原因やったんかもって。
いやいや、お母さんのせいじゃないですよ、お子さんは病気ですよって
お医者さんが診断出してくれても同じ。
この子が病気になったのは、自分のせいって考える。
多分、ヒロシのお母さんもめちゃくちゃ自分を責めてきたと思うねん。
あの子は病気やねんしょうがないねんって言い聞かせながら、いやちがう……けどやっぱり……いやちがう、いやそやろ、いやちがう……て、グルグルグルグル出口のない迷路をずっと彷徨ってきたと思うねん。
ある種の心の病いの厄介なところは、なんぼそうやとわかっていても、
見た目にわかりにくいところ。
え、元気そうやん。怠けてるだけちゃうん?
って周囲が思ってしまうところ。
ヒロシも見た目はごく普通の青年で、好きな音楽を聴いたりタバコ吸ったりして、機嫌よく過ごしてる風に「見える」のです。
でも
頭かき毟ってのたうち回ってる人だけが苦しんでいるとは限らんでしょ。
一見のほほーんとしてるように見えても心の中は嵐が荒れ狂ってるのかもしれない。
見た目だけで、人の心のほんとのとこなんか絶対にわからない。
いつもニッコリ笑顔でご近所にも評判のいいやつがある日
ニッコリ笑って人を殺すことだってある。
だから。
向き合えとか吐き出せとかぶつけろとか言われても。それができたら苦労せんしその前にできることは全部やってきたしこれ以上どうしたらええねんなって思いながらその家族はどうにもできひん自分を責めてるし、それ以上に本人も自分を責めてるかもわからんしそんな中でどうにかこうにか今まで親子で生きてきたわけで、だから母性というよりもはや惰性かもしれんけど、とにかく今日を生きてなんとか明日へ辿り着いて欲しいと願って母親は息子に言うんちゃうかなあ、
「ごはん食べる?」
って。
ヒロシ、なんて言うたか。
「うん、食べる」
って言うねん。
けどその後
「やっぱいらん」
って言うねん。
うち、
「いらんのかーい」て、内心ツッコんでん。w
ヒロシ、ごはん食べへんでどうしたか。
どうしたと思う?
私にはそのあとのシーンが
ヒロシが主人公スヤマと関わり合い、
ああなってこうなってギャーなっていく(説明ヘタか)
どえらい後半へと転がり始める序章のように思えたのでありました。
その先にあるのは希望か絶望か、それとも。
ん?なんやようわからんて?
なら観ればわかるよ。だから
「解放区」観てない人、観てね。
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