ラジオの女神
1990年代なかば頃。当時、私は20代。
コピーライターをしておりました。
社員20名ほどのデザイン事務所で、
会社名は「ブラックキギョー」。
(※内心で呼んでた名前)
お昼休みはホッと一息ランチタイム。
いやランチタイムなんぞという楽しげな響きとは裏腹に、仕事にも人間関係にも疲れたアタイはデスクでぼっちのひとり飯。
毎日が楽しくねぇ面白くねぇ、夢も希望も何にもねぇ、オラこんな人生イヤだ〜、もぉ田舎帰ってこましたろっかな〜🎵と口ずさみながら腐った日々を過ごしていた。て、やさぐれてる割には鼻歌まじりやないか。
その日もデスクで1人、コンビニのおにぎりをボソボソと食べながら、トランジスタラジオにイヤホン突っ込み、いつもの番組を聴こうとしながらふと、気まぐれで別の局をチューニング。
すると
「ピスタチオの皮てなんであんなに固いん?」
という女性の声が聴こえてきた。
なんというか。
今風にいうたら、その言葉が「刺さった」んです。
刺さる話って、だいたいはちょっと深イイ系の話やとは思う。
が、私には
「ピスタチオの皮てなんであんなに固いん?」
という言葉が、腕利きのスナイパーが獲物を仕留めるようにシュポッと私の急所を射抜いたのだった。
そこにはその人の言葉の波動なのだろうか、
「ほんまピスタチオの皮ってなんであんなに固いんやろね!!」
と激しく頷いてしまう圧倒的な説得力があったのだった。
さらにラジオからは
「固いいうたら、新幹線のアイスクリームも固いな」
「あのアイス、新大阪で買ぉたら名古屋まで溶けへんやろ」
「そやからレロレロして溶かすねん」
「私、ポッキーもレロレロすんねん。ポッキーをプリッツにしてから食べるねん」
という話しが流れてきて。
なんこれ。めっちゃおもろいやん。
デスクでひとり、スピスピと耐えきれない笑い鼻を漏らしながら、その人の一言一句に激しく共感する。
この女の人……誰?
と思っているとやがて
「チャララララララーン🎵 上沼恵美子のこころ晴天」
というジングルが。
上沼恵美子さんやったんか。
毎日が楽しくねぇ面白くねぇ、夢も希望も何にもねぇ、オラこんな人生イヤだ〜と呟きながら生きていた毎日に、眩い光がさしたようだった。
女神や。
天上から女神が微笑んどるわ。
そんな気がした。
時にヒリつくほど剥き出しの言葉の数々。
上沼さんのラジオは、どこを切っても金太郎飴のように、ウソのない笑いを届けてくれた。
そこから私の長い上沼生活が始まったのである。
Q:上沼生活ってなんですか?
A:上沼さんが出てはる番組を全てチェックすることです。
やがて転機が訪れて、私は現在の職業である「演芸作家」を目指してフリーランスとなる。
自分も上沼さんのように、腹から出る剥き出しの言葉や感性で、笑いを創りたい。
そんな思いを抱いていた。
フリーランスになったことでそれまでの煮詰まった日々からは脱却して行くのだが、一方、私生活では結婚・出産を迎えて子育て期に突入することになる。
子どもが一人の時は育児の合間を縫って仕事もできたが、二人目が生まれるとニッチもサッチもいかなくなり、もうただただ、わけのわからん小さき生き物の世話に追われる日々が待っていた。
さらにうちの子は、2歳違いの男2人で、ひたすらギャースカな毎日。
ギャースカの一言で片付けたが、ほんとに苛酷な時期だった。
男の子は大変というけれど、こんなにもか。
私、前世でなんぞ悪いことでもしたんかい。
などと考えては、なんちゅう罰当たりなことを考えるのだ!!
と、そんな自分自身に落ち込んだり。
はっきり言って病んでました。
そんな中、唯一のオアシスが
お昼のABCラジオ『上沼恵美子のこころ晴天』だったのです。
集中して放送を聴きたいので、息子たちのお昼寝が放送時間にあたるように、時間を逆算して、午前中は公園へ連れて行ってたっぷり遊ばせ、お昼ご飯もしっかり食べさせ、下の子はミルクもオシメも完璧に整えて寝かしつける。
そうして一人でラジオに耳を傾ける午後のひとときよ。
あぁ、なんというブルースカイブルー。
↑
【補足情報】
番組のオープニング曲が『ブルースカイブルー』いうて、円広志さんが作りはったんですわ。
ある日の昼下がり。
いつものように、ラジオから流れてくる上沼さんのおしゃべりに耳を傾けていた時のこと。
「……うちも息子2人やからね。も〜ほんま大変やったよ」
あ、上沼さんも男の子2人のお母さんやったな。
「でね、ある女優さんと対談した時、こんなん言われてん」
なに言われはったんやろ。
「上沼さん、男の子2人?
あら〜、それって前世で悪いことしたんじゃなぁ〜い?って」
!!
「やかましわ!!て思たけどね。この女優、なんちゅう失礼なこと言うねんて」
うん……、そやな。他人に言われたらそら腹たつよなあ、前世で悪いことしたから男の子2人産んだやなんて。けどそれ、私、自分で思ってたわ。息子ら産んだこと、なんかの罰が当たったみたいに思て……、私、ほんま最低の母親やな……
「けど男の子2人産んで育てるって、それぐらい大変なことなんよ。どんなキツいか、あんたいっぺんやってみ!!(共演の男性アナウンサーにかます)」
……。
「男の子はよぉ動くで!!一瞬でも目ぇ離されへん。うちの子は夜ぜんぜん寝ぇへんかったしな。朝起きたかて顔洗う時間なんかあるかいな。目ヤニつけたまま掃除して洗濯して買い物行って……、睡眠不足で1日中ずーっと頭ク〜ラク〜ラ回ってんねん。これ私、前世でなに悪いことしたんよ!?って思う時あったわ」
……。
「でもね」
うん。
「子育てはいつか終わるから。子どもは成長するんやから!!」
うんっ。
「だからお母さんたち、今は大変やけど頑張ってね!!」
うおーん!!
泣いた。
ラジオってのは。
ラジオってのは、
パーソナリティーが自分のために語りかけてくれるように思えるメディアだけど
上沼さんが私のために言ってくれてるって本気で思えて、泣いた。
今、振ってみても
あの苛酷な子育ての時期を乗り切れたのは
この時の上沼さんの言葉が心の奥底にあったからだと思う。(その横にはあの日のピスタチオも刺さったまんま)
そして子どもが大きくなるにつれ、今度はそりの合わないママ友の愚痴や近所の奥さんのことなど身近な人に言えないような話しを番組のコーナー「ぼやきレター」にメールした。
それはもう駆け込み寺の如く。
その都度、「グレースカイグレー」な私の心を「ブルースカイブルー」にしてくれた『ABCラジオ上沼恵美子のこころ晴天』に、今ここで改めて感謝の意を申し上げるのでございます。
そんでね。
noteを始めてからも番組のことはちょこちょこ書いているので、この機会に振り返ってみようと思います。よろしければご一読のほど。
まずはこちらの記事から。
⬆️もうのっけから「心の支えに生きてます」で始まってて、自分で自分が可愛いいわ(照)
⬆️書き起こしが雑で伝わりにくい部分もあったかも。
でも上沼さんの漫才論として記録しておきたかったのです。
⬆️漫才の真理がここに。そんな金言だらけでした。
⬆️ここ天と言えば上沼さんのシャンプーハットてっちゃんの映画論争「寅さん×スパイダーマン」が神がかって面白いのだが、それをガハハと傍聴していたリスナー(私)がついに、寅さんのゆかりの地・柴又へ行くと言う旅バナシ、いや珍道中。
そんでね、もうひとつ。
上沼さんの番組から自然の流れで、同時間帯の他の曜日も聴くようになりまして。こちらもよろしければ迂回してみてくださいな。
⬆️金曜日の「兵動大樹のほわ〜っとええ感じ。」を聴いて思わず震えながら書いてしまったよね。
⬆️ABC愛を謳うのはよいが、おのれのア⚫︎中っぷりも晒してて、私やっぱりアホなのねと思いました。
さて。
あれから時は流れて私は今、演芸作家をポツポツと営んでおります。
そしてこの演芸という仕事のご縁で、ついに2022年の秋、ABCラジオの番組に呼んでいただいたのです。
番組名は『伊藤史隆のラジオノオト』。
当時、東京から桂右團治師匠をお招きする自主企画の落語会の宣伝で、チラシとともに撮ってくださいました。
番組放送後、
お声かけくださったABCプロデューサーの上ノ薗公秀さんとも記念撮影。
で、これを最後に言うとかなあかん!!
実はこの部屋は……
『上沼恵美子のこころ晴天』のスタジオなのです!!
上ノ薗さんが
「上沼さんのスタジオ見る?」
言うて見学させてくれはったんやで!!
上沼さんの席やで〜〜〜!!
上ノ薗さんが
「座ってみる?」
言うて座らせてくれたんやで〜〜〜!!
よくさ
普段、口にしないような高級なもん食べたら
口が腫れる
て言うけどさ
この時ばかりは
お尻が腫れる
て思たで〜〜〜!!
今年、2024年の春。
2人の息子も社会人になりまして。
子育てもなんとかひと段落したかなと思っております。
20代のやさぐれたブラックキギョー時代も、
先の見えないトンネルのように思えた子育て時代も、
ずっとABCラジオが支えてくれました。
ありがとう、ABCラジオ。
ありがとう、上沼恵美子さん。
ありがとう、歴代のゲストさん&アナウンサーさん。
ありがとう、と言ったら
「浜村淳です」
って言いそうになるほどMBSも大好きだけど🎵
それはもちろんそうだけど🎵
最後に一言、記します。
これからもずっとそばにいてね、ABC🎵
(了)